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【コラム】柔らかい朴槿恵が疲れた朴槿恵を救う(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
ワンピースを着た朴槿恵(パク・クネ)が「セマウルの歌」を歌った。父の朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領が作詞・作曲し、1970年代を支配した話題である近代化を象徴する歌だった。父とソウル大音大生の妹の槿令(クンヨン)、中央高に通う弟の志晩(ジマン)、親戚の金鍾泌(キム・ジョンピル)とチャン・ドクジンも一緒に歌った。75年1月22日、祖母のイ・ギョンリョン氏の80歳の誕生日パーティーはこのように行われた。イ氏は5カ月前の74年8月15日、在日同胞の文世光(ムン・セグァン)に暗殺された陸英修(ユク・ヨンス)夫人の母であり、朴正熙の妻の母だ。

西江大電子工学科を理工学部首席で卒業し、パリに留学中だった朴槿恵は、学者の夢をあきらめて帰国し、母の代わりにファーストレディになった。衝撃のため「しばらく生ける屍のように過ごした。生理が止まり、免疫力が落ちた」と自叙伝に書いている。誕生日パーティーで朴正熙は「片思い」を歌った。妻を亡くした悲痛さが見えた。朴槿令は照れくさそうに「鳩の家」を歌った。しかし22歳のファーストレディは誕生日パーティーという極めて私的な席ですら感情を表す余裕がなかった。

朴槿恵大統領は先週の新年記者会見をつぶした。側近の秘書官3人を手放せなかった。身内の人、自分のスタイルに固執した。2年前の大統領選挙当時に「幸せを与える人」を歌った感性的な姿は消え、40年前の「セマウルの歌」モードに戻った。文書波紋について「申し訳ない」という表現を使ったが、真の謝罪ではなかった。怒った民心との距離はさらに広がった。40%台のコンクリート支持率が崩れたのはこうした硬直の結果だ。


疲れきった朴槿恵政権が気力を回復するには、単純な変化以上の転換が必要だ。そのためには硬直したスタイルが柔軟にならなければいけない。立場が違う人の痛みも自分の痛みになるという温かい共感の視線を見せなければいけない。そうしてこそ自他の境界が崩れ、一つになることができる。不足した自分をすべて改革し、転換できる。

生きているすべての生命は柔らかい。人も、獣も、魚も、さらに木も、硬くなればすでに死んでいる。新しくなるためにも必ず柔軟にならなければいけない。蛇は自分を保護する皮を命をかけて脱ぐ。健康であるほどよく脱ぐ。脱皮をやめる瞬間、皮は自分を閉じ込めて殺す監獄に変わる。生きるために最も大切なものを放棄しなければいけない矛盾を、柔軟でない人は理解できない。



【コラム】柔らかい朴槿恵が疲れた朴槿恵を救う(2)

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