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【コラム】10年前の朴槿恵を探す

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
新聞が有用なのは、過去を取り出して見ることができるからだ。10年前の過去から今日を解釈する端緒を発見する時もある。

2004年3月にハンナラ党の朴槿恵(パク・クネ)新任代表をインタビューしたことがある。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の弾劾に大統領選の不正資金疑惑などで17代総選挙まで1カ月残したハンナラ党は満身瘡痍の状態だった。そんなハンナラ党は、運命を朴槿恵にゆだねた。インタビューは汝矣島(ヨイド)のテント党事務所で行われた。

--自身の政治資産は何だと思うか。


「個人やハンナラ党の利益を離れ、国益レベルで常に考え政治をしてきた。原則と所信を変えず、それを守ろうと努力してきた」

--大統領に会って対話する意思があるか。

「大統領と国会議員は国民と国益のために存在する人々だ。いつでも会わなければならないと考える」

--政治家として父親と似ていたい点は。

「(迷うことなく)国家観と私心のない気持ちだ」

古くなったインタビュー記事を読んでみたら、当時ビニールテントが風に飛ばされ「パタパタ」といっていた音まで聞こえてきた。10年前の記事から今さら発見したのは、今日の朴大統領を作った資産だ。「国益」「原則」「国民」「国家観」「私心のない気持ち」…。社会学を学んだ友人は「国家主義」を成し遂げるカテゴリーだと知ったかぶりした。そういえば昨年12月29日、青瓦台会議の時に「映画(国際市場)で夫婦げんかをしながらも、愛国歌が鳴るとすぐに敬礼をしたものだ」と話したことがさらに実感できた。

乙未年の新年にも大統領の意思疎通についていう人々が多い。与党代表さえ「私たちの大統領はみな良いが、疎通が不足だと誰もが指摘している」というほどだ。しかし朴大統領と青瓦台の人々は、くやしがっている。長官にも会って議員とも分からないように会っているのに何の話かと抗弁する。その通りの言葉だ。私が知っている議員の中には青瓦台の官邸に2~3回行ってきた人もおり、大統領といつも電話で話すという人もいる。ところで、なぜ疎通論争なのか。

現代経営学の父と呼ばれるピーター・ドラッカーは「疎通で最も重要なことは、相手方が話さないことを聞くこと」だといった。朴大統領に会ったという人々の中には、不便だったという返事が意外に多い。世宗路(セジョンノ)庁舎の周辺には「誰それが5分もしないうちに追い出されるように出てきた」といううわさも出回る。大統領のスタイルのためだ。朴大統領は本人の必要で人々に会うよりも、相手方が要請して会うケースが多いという生活を送ってきた。そうするうちに対話の甲はいつも朴大統領になっていた。疎通が、単純に会うのでなく「意が互いに通じて誤解がない」という国語辞典のとおりならば、相手は疎通ではないと感じるかもしれない。

疎通の幅も狭かった。朴大統領の支持率は43%(リアルメーター、12月第4週調査)だ。49.8%は、うまくできていないと答えた。5年単任の大統領の支持率は、時間が経つほどさらに落ちる。世の中の人々の関心が急激に新しい権力に移るからだ。就任2年間で大統領が会ってきた人々は主に43%側だった。疎通の問題を提起するのは49.8%プラスアルファ側だ。2015年、政府は年金・労働・金融などの改革を目標に掲げた。全て大韓民国の将来を変える難題だ。愛国心で統治が可能だった1970年代の国会と今の国会は違う。汝矣島の「非朴派」らを責め立てるばかりでは「国益」の政治をするのは難しい。官邸を非朴派にも開放できる勇気が必要だ。国益の前に大統領が頭を下げられないものは何か。李明博(イ・ミョンバク)元大統領が親朴派を冷遇した政治をするのに5年間でどれほど苦労したのか。

10年前のインタビューを朴大統領はこのように結んだ。「私は青瓦台で暮らしながら権力を見守って、大統領という席がどれほど血がにじむ重責かということをよく分かっている。権力がどのようなものかも、あまりにもよく分かっている」。

朴大統領が権力を分かっているというのは、権力の献身と謙そんを分かっているということだろう。

パク・スンヒ政治部長



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