2011年から韓国で中国語講師として働きながら、学生たちを通じてやりがいを感じたり、自分の人生観や価値観に影響を受けたりした。毎年、修学能力試験(日本の大学入試センター試験)が終わった後、望むような結果を得られず気を落とす学生たちを見ている時は心の片隅がこの上なく痛む。そのたびに、彼らに必要な真の人生の指標と真の教育とは何かを考えることになる。
1993年に「夏キャンプを通した変化」という文を読んで驚いたことがある。韓日中の夏キャンプに参加した中国の学生は両親がつきそっていちいち用意していた一方、韓国と日本の学生はカバンや荷物を自らまとめていたという。これについて中国の将来は暗いと展望した人もいた。1人っ子国家である中国の特殊性を考慮すべきだが、こうした特別な行動は憂慮を生むのに充分だった。20年が過ぎた今、各国の教育状況はどのように変ったのだろうか。
日本は、身体鍛練や野外生存能力を強化する全人教育を重視しているという。韓国と中国は、成績を優先視する。そうするうちに問題なのは運動不足が深刻だという事実だ。この頃の体育の授業は自習に代わることが常で、学生たちは特に運動する時間もないばかりか、放課後にはすぐに塾に行って帰宅後には宿題をするのに考える余裕もないという。りりしく自立的だったという20年前の韓国の学生たちとは全く違った印象だ。その原因を、進学中心の学校教育から探す人が少なくない。
これを解決しようと最近、韓国はもちろん中国でも素養教育を重視し始めた。だが家庭では依然として子供の名門大進学のための科目だけを重視し、多方面の素質啓発を見逃しているのが茶飯事だ。中国の場合、学業負担を減らそうという規定があったりするが、むしろ適性教育という名のもとで別の私教育をあおる可能性がある。弊害を根本的に解消するには人格教育を重視するだけでなく生徒たちへの評価基準も変わらなければならないと考える。1回の試験で人生が決定され、成績だけで学生を評価する方式は、生気盛んな青少年の個性を全て表わすことはできないと思われる。
私は中国語を学ぶ韓国の学生たちに、いつも「韓中両国の未来は、まさに皆さんにかかっている」と話す。20年後ぐらいには中国語もできて中国をよく理解している韓国人が外交・通商・交流など多様な分野で活躍しているからだ。だが苦労に簡単に耐えられず親に依存的な子供たちが、重大な使命に耐えられるか心配にもなる。ぜひ韓国と中国の学生たちが、もう少し幸せに育つようにと願う。
張玉安 JTBC『非首脳会談』出演者
1993年に「夏キャンプを通した変化」という文を読んで驚いたことがある。韓日中の夏キャンプに参加した中国の学生は両親がつきそっていちいち用意していた一方、韓国と日本の学生はカバンや荷物を自らまとめていたという。これについて中国の将来は暗いと展望した人もいた。1人っ子国家である中国の特殊性を考慮すべきだが、こうした特別な行動は憂慮を生むのに充分だった。20年が過ぎた今、各国の教育状況はどのように変ったのだろうか。
日本は、身体鍛練や野外生存能力を強化する全人教育を重視しているという。韓国と中国は、成績を優先視する。そうするうちに問題なのは運動不足が深刻だという事実だ。この頃の体育の授業は自習に代わることが常で、学生たちは特に運動する時間もないばかりか、放課後にはすぐに塾に行って帰宅後には宿題をするのに考える余裕もないという。りりしく自立的だったという20年前の韓国の学生たちとは全く違った印象だ。その原因を、進学中心の学校教育から探す人が少なくない。
これを解決しようと最近、韓国はもちろん中国でも素養教育を重視し始めた。だが家庭では依然として子供の名門大進学のための科目だけを重視し、多方面の素質啓発を見逃しているのが茶飯事だ。中国の場合、学業負担を減らそうという規定があったりするが、むしろ適性教育という名のもとで別の私教育をあおる可能性がある。弊害を根本的に解消するには人格教育を重視するだけでなく生徒たちへの評価基準も変わらなければならないと考える。1回の試験で人生が決定され、成績だけで学生を評価する方式は、生気盛んな青少年の個性を全て表わすことはできないと思われる。
私は中国語を学ぶ韓国の学生たちに、いつも「韓中両国の未来は、まさに皆さんにかかっている」と話す。20年後ぐらいには中国語もできて中国をよく理解している韓国人が外交・通商・交流など多様な分野で活躍しているからだ。だが苦労に簡単に耐えられず親に依存的な子供たちが、重大な使命に耐えられるか心配にもなる。ぜひ韓国と中国の学生たちが、もう少し幸せに育つようにと願う。
張玉安 JTBC『非首脳会談』出演者
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