禅の実行と時調を書くことを共にしてきた雪岳山(ソラクサン)の神興寺(シンフンサ)の五鉉(オヒョン)僧侶。「時調は私たちの民族の3拍子の生活リズムがにじみ出ている文学ジャンルだ。老若男女、誰でも気軽に書いて楽しめたらいいだろう」と語った。
事実、仏教で悟りの境地を世間に伝える方法として詩や文章に親しむ伝統は、私たちにとってそんなになじみ薄いものではない。朝鮮時代の禅詩の伝統がそうであり、韓龍雲(ハン・ヨンウン、号は万海、1879~1944)や法頂(ポブジョン、1932~2010)僧侶もその流れから見ることができる。
五鉉僧侶は2012年、文学全集『寂滅のために』(文学思想)の時調「私の人生」で、「私の一生を尋ね歩いた/ものは/禅の底辺/詩の底辺だった」と淡々と回顧したことがある。
1978年に初めての時調集『十牛図』(韓国文学社)の「自序」には次のような部分がある。
「比丘(出家して正式な僧になった男子)や詩人としては鏡虚(キョンホ、1846~1912)に出会えなかった。東大門(トンデムン)市場やその周辺の九老洞(クロドン)工団または力仕事の現場、魚の生臭いにおいが広がる漁村の居酒屋、そんなところに行っている時だけ鏡虚に会えた。そんなところは、私が私から無制限に離れた街角であり決別の瞬間でもある」。
要するに、旧韓末(朝鮮時代末期から大韓帝国時代)に忌憚なき禅師だった鏡虚の域に至るために、禅の実行と時調は2つではなく1つの出発点だったという話だ。
それなら、なぜあえて時調でなければならないのか。18日、やっとのことで僧侶に会えた。僧侶が後援する月刊時専門紙『有心』のソウル狎鴎亭路(アックジョンノ)事務室からだ。僧侶は、「何気に私を目立たせるインタビューならば遠慮する」と事前に固くクギを刺した。「時調振興」に関してならば話してみる価値はあるということだった。
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