まず世界が1つになっていくグローバル時代に、アジア人同士で競うこと自体が無意味だ。ある種目は世界レベルとあまりに違いが生じるからで、ある種目は世界最高の水準だからだ。世界水準にとても及ばない金メダルが面目を失い、プロと中学生ほどの顕著な実力の差の中で行われる勝負は気まずいものだ。
45億のアジア人の祭りだとうたうなら、それにふさわしいコンセプトがなければいけないはずなのに、哲学は見られず勝負だけがあった。だから大会期間中ずっと面目を失うことと気まずさだけが続いてしまった。
【コラム】仁川アジア競技大会、残念(2)
45億のアジア人の祭りだとうたうなら、それにふさわしいコンセプトがなければいけないはずなのに、哲学は見られず勝負だけがあった。だから大会期間中ずっと面目を失うことと気まずさだけが続いてしまった。
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