オリンピックのアーチェリー競技のようだ。クラシックコンクールの最終決選進出者6人のうち5人が韓国人だった。舞台は米国。4年ごとに開催されるインディアナポリス国際バイオリンコンクールが20日(現地時間)に終わった。1位のチョ・ジンジュさん(26)をはじめ、2位を除いた6位まで韓国人が占めた。
小さなコンクールではない。1986年の第2回目から韓国人が挑戦した。しかし1位は2010年になって出てきた。クララ・ジュミ・カン(27)の韓国人初の優勝が話題だった。ところが「初優勝」がわずか4で2連覇を含む「大挙受賞」に変わった。
国際コンクール入賞の話は絶えず聞こえてくる。今月の「韓国人初優勝」を列挙するだけでも息が切れる。14日のハンガリーカザルスコンクールでチェロ奏者ムン・テグクさん(20)、18日のロシア楽器製作大会でバイオリン製作者ホン・ソンヒさん(34)、23日にはルーマニアエネスクコンクールでチェロ奏者ホン・ウンソンさん(25)が初優勝を伝えた。数年前までは一つ一つが大きなニュースになっていた。
一つ比較してみよう。1974年にピアニストの鄭明勲(チョン・ミョンフン)さんがチャイコフスキーコンクールで2位に入賞した時はソウル都心でカーパレードが行われた。2011年に同じ大会で1位になった韓国声楽家は2人もいる。大変な実力派だが、2人を知る人はそれほど多くない。
コンクール入賞自体が大きなニュースにならない「コンクールインフレーション」時代だ。大抵の大会の入賞は認められにくい。まずコンクールの数が増えた。世界国際コンクール協会(WFIMC)がホームページに公示している国際コンクールだけでも115件にのぼる。
これとともにコンクールに参加する韓国演奏者の実力が同時に高まった。現在の国際コンクールに出る17-30歳は80年代半ばから90年代後半に生まれた世代だ。家庭にピアノがあり、高度成長が実を結んだ時期に生まれている。韓国芸術総合学校が1993年に開校し、企業の文化芸術後援が始まったのもその頃だ。この時から実力を磨いてきた子どもたちが現在、各種の国際舞台で活躍している。多くの国際コンクールは「韓国舞台」となった。韓国の演奏者たちが国際コンクールで競争する。韓国で新人の実力を知らせる方法がコンクール以外にほとんどない状況も参加の熱気を高める。
「コンクールインフレ」時代の演奏者には「コンクール以後」というもう一つの課題が与えられた。多数の国際コンクールで審査するピアニストのキム・テジンさんは「入試と競争で鍛えられた韓国の参加者は、演奏する時、絶対にミスをせず完ぺきだという共通点がある」とし「しかし今は音楽的な個性と主観を備える方向に進化する時になった」と話した。
ついでに他の先輩演奏者の言葉を伝えておこう。
「コンクールは世界舞台に進むステップという機能を失いつつある。入賞後にも絶えず自ら証明しなければいけない」(ピアニストのキム・ソンウクさん)。
「国際コンクールの審査をすると、韓国人の参加者は独特だ。自分の演奏が終われば家に帰る。他人の音楽はなぜ聴かないのか。私たちは音楽をしているのだ。コンクールでなく」(バイオリニストのキム・ナムユンさん)
小さなコンクールではない。1986年の第2回目から韓国人が挑戦した。しかし1位は2010年になって出てきた。クララ・ジュミ・カン(27)の韓国人初の優勝が話題だった。ところが「初優勝」がわずか4で2連覇を含む「大挙受賞」に変わった。
国際コンクール入賞の話は絶えず聞こえてくる。今月の「韓国人初優勝」を列挙するだけでも息が切れる。14日のハンガリーカザルスコンクールでチェロ奏者ムン・テグクさん(20)、18日のロシア楽器製作大会でバイオリン製作者ホン・ソンヒさん(34)、23日にはルーマニアエネスクコンクールでチェロ奏者ホン・ウンソンさん(25)が初優勝を伝えた。数年前までは一つ一つが大きなニュースになっていた。
一つ比較してみよう。1974年にピアニストの鄭明勲(チョン・ミョンフン)さんがチャイコフスキーコンクールで2位に入賞した時はソウル都心でカーパレードが行われた。2011年に同じ大会で1位になった韓国声楽家は2人もいる。大変な実力派だが、2人を知る人はそれほど多くない。
コンクール入賞自体が大きなニュースにならない「コンクールインフレーション」時代だ。大抵の大会の入賞は認められにくい。まずコンクールの数が増えた。世界国際コンクール協会(WFIMC)がホームページに公示している国際コンクールだけでも115件にのぼる。
これとともにコンクールに参加する韓国演奏者の実力が同時に高まった。現在の国際コンクールに出る17-30歳は80年代半ばから90年代後半に生まれた世代だ。家庭にピアノがあり、高度成長が実を結んだ時期に生まれている。韓国芸術総合学校が1993年に開校し、企業の文化芸術後援が始まったのもその頃だ。この時から実力を磨いてきた子どもたちが現在、各種の国際舞台で活躍している。多くの国際コンクールは「韓国舞台」となった。韓国の演奏者たちが国際コンクールで競争する。韓国で新人の実力を知らせる方法がコンクール以外にほとんどない状況も参加の熱気を高める。
「コンクールインフレ」時代の演奏者には「コンクール以後」というもう一つの課題が与えられた。多数の国際コンクールで審査するピアニストのキム・テジンさんは「入試と競争で鍛えられた韓国の参加者は、演奏する時、絶対にミスをせず完ぺきだという共通点がある」とし「しかし今は音楽的な個性と主観を備える方向に進化する時になった」と話した。
ついでに他の先輩演奏者の言葉を伝えておこう。
「コンクールは世界舞台に進むステップという機能を失いつつある。入賞後にも絶えず自ら証明しなければいけない」(ピアニストのキム・ソンウクさん)。
「国際コンクールの審査をすると、韓国人の参加者は独特だ。自分の演奏が終われば家に帰る。他人の音楽はなぜ聴かないのか。私たちは音楽をしているのだ。コンクールでなく」(バイオリニストのキム・ナムユンさん)
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