インドネシアとタイ。ポスコではこの両国につくった法人は「要注意会社」だった。ポスコは史上最大の投資額である3兆ウォンを投入して海外最大規模の製鉄所をインドネシアに作ったが、稼働初期の今年初めに高炉に問題が生じて60日間停止していた。タイ法人も同じだ。ポスコは2011年、現地で唯一のステンレス会社タイノックスを買収したが3年間赤字が続いた。海外事業の構造調整という話が出るたびに議論されるほどだった。
そんな2つの法人が、ポスコの新たな期待の星として浮上している。解決法はこれだ。インドネシアは「売れるものを売ろう」、タイは「売っていなかったものを売ろう」戦略を使った。相反した戦略だったがいずれも著しく成功した。「みにくいアヒルの子」のようだった2つの法人の「攻め」と「防御」戦略を、現地で確かめた。
15日、インドネシアの首都ジャカルタからバスで1時間半余りかかった。到着した場所はジャカルタがあるジャワ島の西端の都市チレゴン。北側には太平洋を、南側にはインド洋を臨む小さな港町だ。ここにはポスコがインドネシア国営鉄鋼会社クラカタウスチールとの合弁(7:3比率)「東南アジア第1の製鉄所」がある。
2008年2月、インドネシア政府はポスコと日本の新日鉄住金(旧・新日本製鉄)にそれぞれ「一貫製鉄所の合弁投資」の提案をした。新日鉄は断った。すでにインドネシア市場の主導権を握っており、海外の製鉄所建設にともなう資金と技術の負担を背負う理由がないということだった。ポスコは違った。インドネシア国民1人あたりの鉄消費量は61キロ。世界平均(238キロ)や中国(505キロ)、日本(516キロ)と比較すれば非常に低い水準だ。鉄鋼産業の発展段階だけで見れば「離陸期」程度で、ポスコはインドネシアの鉄鋼市場の成長可能性が高いとみて投資に入った。日本が占領した市場を攻撃するためには投資が必要だった。インドネシアに製鉄所を作ることになれば東南アジア一帯の国に販売する鉄鋼製品には無関税が適用され、価格競争力があった。ポスコはその年の10月に了解覚書(MOU)を結び、3兆ウォン(年間生産300万トン)に及ぶ大規模な投資に入った。
ポスコ、インド沃シアに大規模投資…日本主導の市場で挽回なるか(2)
そんな2つの法人が、ポスコの新たな期待の星として浮上している。解決法はこれだ。インドネシアは「売れるものを売ろう」、タイは「売っていなかったものを売ろう」戦略を使った。相反した戦略だったがいずれも著しく成功した。「みにくいアヒルの子」のようだった2つの法人の「攻め」と「防御」戦略を、現地で確かめた。
15日、インドネシアの首都ジャカルタからバスで1時間半余りかかった。到着した場所はジャカルタがあるジャワ島の西端の都市チレゴン。北側には太平洋を、南側にはインド洋を臨む小さな港町だ。ここにはポスコがインドネシア国営鉄鋼会社クラカタウスチールとの合弁(7:3比率)「東南アジア第1の製鉄所」がある。
2008年2月、インドネシア政府はポスコと日本の新日鉄住金(旧・新日本製鉄)にそれぞれ「一貫製鉄所の合弁投資」の提案をした。新日鉄は断った。すでにインドネシア市場の主導権を握っており、海外の製鉄所建設にともなう資金と技術の負担を背負う理由がないということだった。ポスコは違った。インドネシア国民1人あたりの鉄消費量は61キロ。世界平均(238キロ)や中国(505キロ)、日本(516キロ)と比較すれば非常に低い水準だ。鉄鋼産業の発展段階だけで見れば「離陸期」程度で、ポスコはインドネシアの鉄鋼市場の成長可能性が高いとみて投資に入った。日本が占領した市場を攻撃するためには投資が必要だった。インドネシアに製鉄所を作ることになれば東南アジア一帯の国に販売する鉄鋼製品には無関税が適用され、価格競争力があった。ポスコはその年の10月に了解覚書(MOU)を結び、3兆ウォン(年間生産300万トン)に及ぶ大規模な投資に入った。
ポスコ、インド沃シアに大規模投資…日本主導の市場で挽回なるか(2)
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