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【噴水台】力の弱い国の悲しみはいまも続く=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
広報をするにはしたが、わざわざ熱心にはしない特異なことがあった。「ローキー(low-key)戦略」だと言った。この用語の辞書での定義は「多くの耳目を集めないよう抑制された」だ。

25日に韓国内の報道機関にひとつの報道資料が配布された。日帝時代にサハリンに強制的に連行された後そこで死亡した韓国人18人の遺骨が28日に韓国に奉還されるという内容だった。資料を出したのは「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会」。政府所属委員会のうち最も長い名前を持つところだ。

資料が配布されたタイミングはサハリンの墓地で遺骨を発掘し火葬した後に遺骨とともに帰国する遺族18人が飛行機に乗り離れた直後だった。出国前の遺族への取材を時間差で封じたものだった。いくつかの放送局がサハリン行きの航空便を調べてみたがチケットを取ることができなかったという。委員会は活動成果を広く知らしめられる機会をこのように自ら蹴ってしまった。


ところがこの時間差広報は意図されたものだった。委員会によると「最大限静かに行事を行ってほしい」という韓国外交部の要請があったという。

この「ローキー」の注文のため同委員会の委員長(次官級)も遺族との同行を断念した。そのため追悼式での追悼辞朗読、現地協力者らに対する感謝盃授与は行事参席者で最高位の公務員となった同委員会の事務局長が急に代理ですることになった。

ローキーの注文はロシア政府の要請に従ったものと外交部は委員会に説明した。韓国政府はロシアが日本との外交関係を意識してそうした要請をしたものと推定している。結局背景は3つのうちひとつだ。日本がロシアに圧力を加えたり、ロシアがあらかじめ日本を意識して韓国政府に注文したり、そうでなければ韓国外交部が過度に慎重になってだ。

1945年の解放時、日帝はサハリンの自国民を本国に帰還させ、強制的に連れて行き雑役夫としてこき使った韓国人4万人余りは捨てた。その後南北分断とソ連との外交断絶でほとんどが再び故郷の土を踏むことなく寂しく世を去った。

18人の遺骨は29日、「望郷の園」に安置される。この日は104年前に日帝が大韓帝国を併合した国辱日だ。委員会は計画より遅れ奇しくもそうなっただけで意図して日を選んだのではなかったと説明した。18人の英霊が国を失った恥辱を子孫に想起させようとしたものだろうか。尋ねる方法はない。

イ・サンオン中央SUNDAY次長



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