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【グローバルアイ】「戦争ができる国」日本の蒸し暑さ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
8月の日本は暑い。島国特有の湿った空気、40度近くまで上がる気温は耐えがたい。日本人はこうした暑さを「蒸し暑い」と表現する。東京特派員として赴任してから1カ月も経たないうちに迎えた8・15光復(解放)節もそうだった。

朝から安倍内閣の閣僚と国会議員が参拝した靖国神社は暑かった。韓日関係悪化の象徴的な場所を初めて取材するという緊張感と強烈な日差しに額からは汗が流れ続けた。しかし蒸し暑さは長く続かなかった。背筋がぞっとするような光景を見たからだ。退役軍人と思われる高齢者は戦争の郷愁に浸るように軍服を着ていた。戦争の惨状を知らない20代の青年は旭日旗を掲げた。号令に合わせて行進するこの人たちの顔からは、今すぐにも国から呼ばれれば戦場に駆けつけるという悲壮感と殺気が感じられた。

日本は8・15を敗戦日とせず、終戦記念日と呼ぶ。1982年に閣議決定を通じて「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」と規定したからだ。しかしこの日の日本では「平和」を連想することができなかった。安倍内閣が集団的自衛権行使の容認を決めた後、初めて迎えた今年の8・15は、「終戦」ではなく、いつでも「開戦」できるようになったことを記念する雰囲気だった。


安倍首相は全国戦没者追悼式で「戦没者の貴い犠牲の上に平和と繁栄がある」と述べた。しかし2年連続で「加害」と「反省」に言及しなかった。戦争をしないという「不戦の誓い」もなかった。安倍首相が「不戦の誓い」を省略したのは意図的だ。60年に祖父・岸信介首相が日米新安保条約を批准し、戦後の日本が戦争に介入できる道を開いたのを受け継ぎ、「戦争ができる日本」を作るのに着々と準備してきたからだ。秘密保護法の制定、武器輸出三原則の変更、集団的自衛権行使の容認は戦争の準備と変わらない。

日本軍国主義は内部の不満を食べて育つ。江戸幕府末期、武士の不満をなだめようと提起されたのが征韓論だ。1929年の米国大恐慌の余波で解雇・賃金カットが増え、労働争議が頻発すると、日本関東軍は満州侵略を敢行した。90年代にバブル経済がはじけて始まった長期不況を打開しようというアベノミクスが大きな成果を出せない現在、地震・放射能恐怖までが重なり、列島の不満と不安は大きい。

ツイッターなどでは徴兵制をめぐる議論も広がっている。「自衛隊の方が何十人と亡くなるということが起きた時に、今のように自衛隊員が集まってくれるのか」という枝野幸男元官房長官の発言が導火線になった。戦争と派兵、徴兵という言葉が飛び交う。新たに戦没者が出てくる可能性があるという恐怖も強まっている。

今週、東京は夜中にも30度前後の熱帯夜が続いた。ところが「戦争ができる」日本を思い出すと暑さは引いていく。新任特派員の神経があまりにも鋭敏になっているのだろうか。

イ・ジョンホン東京特派員



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