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日帝徴用者らが作った「自由韓人報」の実物を発見

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

韓人徴用者らが作った雑誌「自由韓人報」4・5号の表紙と収録記事(写真=LA中央日報)

日帝によって強制徴用され南洋群島などで米軍の捕虜となった韓国人徴用者らがハワイの収容所で作った雑誌「自由韓人報」の4号と5号の実物が発見された。独島(ドクト、日本名・竹島)を描く画家として知られる在米韓国人のクォン・ヨンソプ氏が父親の遺品を整理する過程で見つけた。2000年に死去した父親のクォン・イムジュン氏は1944年7月に強制徴用された後、沖縄で米軍の捕虜となりハワイに収容された。自由韓人報は1945年8月15日の日本降伏後、週刊誌形態で7号まで刊行された。原本は7号だけが国家記録院と独立記念館に保管されており、昨年末には3号の写本が発見された以外には存在が明らかになっていなかった。独立記念館のホン・ソンピョ責任研究委員は、「日帝時代を貫通する独立運動と憂国志士らと脈を同じくする韓人徴用捕虜らの肉声が盛り込まれており独立運動史にも貴重な資料だ」と評価した。

45年11月23日と12月2日にそれぞれ刊行された4号と5号には2700人余りの韓人捕虜名簿も付録として収録されている。その中には慰安婦として連れて行かれたと推定される50人余りの女性の名前もある。

自由韓人報は蜜蝋紙に鉄筆で手書きで文字を書いた後に謄写機ローラーを利用して1号当たり300冊程度を刷って回し読みしたと伝えられる。捕虜の寄稿文には祖国が分断されようとしているがわれわれが帰ったら力を合わせて防がなければならないという内容、力を育てなければならないという主張、利己主義を捨てようという主張など、憂国志士的主張が主流をなす。「われわれの思い」という題名の匿名文には「反目嫉視してきた誤解を一掃し…激烈な団結に貢献しよう」と訴える。


「孤島への追憶」(キム・ビョンテ)というエッセーは徴用時代にネコが出した声を米軍の空襲と勘違いしてみんなが驚いたエピソードが書かれている。旧韓末に流行した詩の形態である「新体詩」コーナーには南北が分かれ統一祖国が遠ざかる無念さを表現した詩も目につく。

雑誌に表われた生活像を見ると、韓人捕虜は米軍から相当に友好的な待遇を受けた。雑誌刊行と住所録作成に米軍が積極的に協力したという内容がある。捕虜が清掃や塗装などの雑事をしながら1日8セントの労賃をもらったりもした。質の悪い韓人200人余りを隔離収容し教育させるという内容もあり、捕虜社会内部でも少なからぬ混乱があったということがわかる。彼らは45年のクリスマス翌日の12月26日に2600人が第1陣として帰国船に乗り込んだ。残りの100人余りは翌年8月に帰国した。



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