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【時視各角】サムスン電子のシャオミショック(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
1990年代末から2000年代初めは電子産業の「激烈な時期」だった。DRAM半導体の好況が終わると業界は世界的にリストラに入り、2001年にハイニックス半導体が米国企業と売却交渉を行った前後、チキンゲームはピークに達した。この渦中、日本のDRAM企業と台湾企業は事業を撤収し、国内ではハイニックス死守に少数株主までが動いたりもした。戦争のように凄まじかった。

ところがサムスン電子だけはその戦争を避けていた。1ドルを割るDRAM価格に随所から悲鳴の声が聞こえたが、サムスン電子の営業役員は「この戦争をもっと続けられる」と声を高めた。そしてNAND型フラッシュメモリーを持ち出した。モバイル機器用メモリーだ。当時はこうした機器の概念さえ馴染みが薄く、「近いうちに持ち歩く“ポータブルコンピューター”時代がくれば、NAND型フラッシュメモリー時代になるだろう」という説明を聞いてもイメージできなかった。サムスン電子はこのように一歩先を進んで市場を掌握した。

その後、サムスン電子はデジタル時代のグローバル主人公となった。強大なアナログ技術を持つ日本電子業界が未練を捨てられない間、デジタル市場でサムスン電子は疾走した。アナログでは持つものがなかったため、新技術市場で足かせとなるものがなかったのかもしれない。


最近、「シャオミ(小米)ショック」で業界がまた騒々しくなっている。「粟」という意味の中国スマートフォン企業シャオミが中国市場でサムスン電子を引き下ろして1位になったという。ここからサムスン電子危機論は表面化した。「好調なサムスン電子はスマートフォン錯視現象」という言葉が以前から市場で聞こえていたが、ちょうどシャオミに一撃に食らったからだ。サムスン電子は本当の斯界の盟主としてビジョンと実力を見せるべき岐路に立ったのだ。

ところがサムスンのスマートフォンが弱い姿を見せると、「ディス(diss)」も出てくる。ある通信業界の関係者は「サムスンのスマートフォンの成功神話はSKテレコムが築いた」と述べた。アップルのiPhone発売当時、SKテレコムがiPhoneの韓国内パートナーになるのをあきらめ、ギャラクシーを6カ月も待ち、初めて行列を作って開通させた場面が世界メディアに報道され、ギャラクシー神話が始まったということだ。崔泰源(チェ・テウォン)SK会長と李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長の「義理」が生んだ作品というものだ。



【時視各角】サムスン電子のシャオミショック(2)

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