14日、フランシスコ法王が訪韓する。
14日に訪韓するフランシスコ法王が、韓国に格別な愛情を寄せているのはこのような歴史的背景がある。キリスト教の弾圧が朝鮮に劣らず深刻だった日本で多くの信者が神道に背を向けた一方、西洋の神父12人が斬首されても信者数が増え続けた朝鮮を法王庁は聖霊の地として眺めた。迫害の地、しかし奇跡の地だった。そこを法王が訪れる。大砲や精兵ではなく主教90人を同行してだ。ユ・ジンギルの請願書に対する前向きな回答としてはこの上ない法王のお出ましが、韓半島(朝鮮半島)に伝えるメッセージは素朴なものだろう。貧しき者の友であり、他宗教とも疎通を図る法王の返信には生命尊厳と人間愛、この2つの言葉がある。
平凡なこの2つの言葉が、フランシスコ法王の霊性的な実践と接合して新しい意味を得る。チャ・ドンヨプ神父は自身の著書で法王の愛の革命を「観想的な愛」に概念化した。人間を、神様に接するようにすればその人の中に隠れた尊さと美しさを見るということだ。だから麻薬中毒者の足もとに口づけをし、行き倒れた者を懐に抱く。
東学の伝導師・崔時亨(チェ・シヒョン)がそうだった。師匠・崔済愚(チェ・ジェウ)が「人は神」という啓示をしていたとすれば、崔時亨はお天道様、すなわち天が万物に隠れているという汎天論に進んだ。「人間を含めたあらゆる事物も天だ」。人と事物に接する時「養天主」をしろとの生活哲学に切り替えた崔時亨が「子供もお天道様だ、殴ってはいけない」としたのはそうした理由だ。人が食べ物を食べることを以天食天(天が天を食べる)と説法したため東学と天主教の人間愛は相通じる。あたかも上帝と天主が朝鮮教理書に代わるがわる登場するようにだ。
【コラム】法王を待ちながら=韓国(2)
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