朝鮮「労働」党が率いる北朝鮮共産体制との対立の中で形成されてきた大韓民国で、労働問題は非常に不便な問題だった。1970年代まで労働運動は深刻な弾圧を受け、さらには「労働者」という言葉さえも不純だとし、「勤労者」という言葉を作り出したりもした。労働問題が経済問題というより安保問題として扱われたといっても過言でない。
1980年代に入って保健社会部労働局が労働部(2010年からは雇用労働部)に昇格し(1981年)、労働運動が急成長しながら労働問題の抑圧を通じてのみ解決しようとした時代は幕を下ろしたが、韓国の経済政策で労働はずっと後回しにされてきた。80年代以降、労働問題を軽視する新古典派経済学が韓国経済政策立案者の思考を支配することになったからだ。
【コラム】労働の質に関心を向けよう=韓国(2)
1980年代に入って保健社会部労働局が労働部(2010年からは雇用労働部)に昇格し(1981年)、労働運動が急成長しながら労働問題の抑圧を通じてのみ解決しようとした時代は幕を下ろしたが、韓国の経済政策で労働はずっと後回しにされてきた。80年代以降、労働問題を軽視する新古典派経済学が韓国経済政策立案者の思考を支配することになったからだ。
【コラム】労働の質に関心を向けよう=韓国(2)
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