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【コラム】韓日関係、過去から未来を見る(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
韓日間の不信と対立、摩擦の悪循環を見ながら、歴史を振り返ることが多い。現在は過去ではなく、その断層も幾重にもなっているが、歴史は常に知恵と省察の泉だ。変えることも、移すこともできない隣国間の関係史はなおさらそうだ。先代の現実主義(Realism)外交は不便であったり、教訓を与えたりもする。交渉に対する二重的な反応は、大陸・海洋強国に挟まれた韓半島(朝鮮半島)地政学の宿命かもしれない。

壬辰倭乱・丁酉災乱(1592-1598)直後に戻ってみよう。文化優越主義の朝鮮に屈辱となった7年の戦乱を後にし、朝鮮宣祖は2年後、徳川幕府と講和交渉を始める。朝鮮との交易に死活がかかっていた対馬藩の要請を受けてからだ。対馬は「徳川は豊臣秀吉の朝鮮侵略と関係なく、和解を望む」と伝えてきた。このメッセージは1604年、四溟大師の徳川面談で確認された。朝鮮は復交の前提に2つを幕府に要求した。一つは、徳川が先に「日本国王」印が押された国書を送るということだった。もう一つは戦乱当時の漢陽(ハンヤン)宣靖陵盗掘犯の送還だった。宗廟社稷の威信を立て直すということだった。

対馬は急いで徳川の国書と盗掘犯2人を送ってきた。国書は対馬によって偽造されたものだった。朝鮮はこれを知っていた。盗掘犯2人も同じだった。宣祖は、あまりにも若く認めにくいと述べた。それでも朝鮮は名分が貫徹されたと見なした。盗掘犯2人を処刑し、使節団(回答兼刷還使)を1607年に日本に送った(中尾宏の『朝鮮通信使』、ソン・スンチョル江原大教授の論文参照)。名分より実利を選択した外交だった。朝鮮には戦乱後の復旧と民生回復、日本拉致被害者送還、北側の女真族牽制が急務だった。使節団の派遣で朝鮮朝以来の和平-対等などの対日交隣関係が回復され、朝鮮と徳川幕府の200年の平和が始まった。朝鮮通信使を通した朝鮮・幕府間の誠信外交は、東アジアを平和と文化交流の回廊にする礎石となった。

【コラム】韓日関係、過去から未来を見る(2)

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