こうした指示にもかかわらず、検察と警察の検挙作戦は表面的なものにとどまっていたことが明らかになった。大統領の発言の2日後の6月12日、兪炳彦(ユ・ビョンオン)会長の隠れ家だった全羅南道順天市(スンチョンシ)松峙斎の別荘の近くで発見された変死体が兪会長のものと確認されたからだ。
検察・警察は5月22日に兪会長に対する拘束令状を請求した後、60日間、全国で延べ人数145万人を動員した大規模な検挙作戦を繰り広げたが、後に遺体を確認して終わった。兪会長の遺体を路上生活者の変死体として処理した警察だけでなく、検察も兪会長の遺体のDNA鑑識結果が出るわずか数時間前に2次拘束令状の発行を受けるなど、深刻に無能な姿を見せた。このため「検挙共助」失敗に対する責任を問うべきだという声が高まっている。
検察・警察は5月22日に兪会長に対する拘束令状を請求した後、60日間、全国で延べ人数145万人を動員した大規模な検挙作戦を繰り広げたが、後に遺体を確認して終わった。兪会長の遺体を路上生活者の変死体として処理した警察だけでなく、検察も兪会長の遺体のDNA鑑識結果が出るわずか数時間前に2次拘束令状の発行を受けるなど、深刻に無能な姿を見せた。このため「検挙共助」失敗に対する責任を問うべきだという声が高まっている。
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