文昌克(ムン・チャングク)首相候補の辞退で大韓民国の国政の非正常状態が続いている。旅客船セウォル号惨事の責任を取って鄭ホン原(チョン・ホンウォン)首相が辞意を表明してから60日が過ぎた。その間、2人の首相候補が国会人事聴聞会にも進めず退いた。政界は深刻な政派的対立の中、セウォル号の国政調査もまともに進められずにいる。国家情報院長と経済・社会副首相をはじめとする7つの部の長官候補の人事聴聞会要請書が国会に渡ったが、野党はこのうち数人は必ず落馬させると主張している。政府の業務を主導するべき部処の局長級人事30カ所ほどが空いているため、公務員も働く意欲が出ないだろう。
朴槿恵(パク・クネ)大統領はセウォル号を経験しながら、国家改造レベルの国の革新をすると述べたが、むしろ国民の分裂ばかり深まっている。セウォル号事故以前に国家アジェンダとして朴大統領が前面に出した公共改革、規制との戦争、経済革新3カ年計画のビジョンは、過去の話のようになっている。活発に活動すべき執権2年目の大統領としては非常に無力な姿だ。国政運営の一大危機の中で、この問題を解いていくべき人は朴大統領自身だ。大統領と青瓦台は孤立から抜け出さなければならない。朴大統領は3人目の首相候補を選ぶ際、青瓦台参謀と秘線の話ばかり聞くのではなく、セヌリ党、さらに野党の新政治民主連合の推薦を受ける必要がある。原則的に3権分立が厳然な大統領制で、大統領が全面的に自己責任の下で人事権を行使するのは当然だ。しかしこの政権に入って首相人事が3度も失敗した理由を考える必要がある。大統領の独自の人事が招いた結果ではないだろうか。このため野党と一緒にする新しい政治実験をするのがよいということだ。たとえ野党が推薦する人物を選択しないとしても、こうした手続き自体が合意型あるいは統合型政治文化を作っていく第一歩となる可能性がある。これ以上の失敗は許されないため、十分に時間をかけて人を選ぶことを望む。
新政治連合も国政まひの責任から自由でない。新政治連合は大統領が指名した公職候補を一人ずつ倒すことが野党の義務のように勘違いしては困る。安大熙(アン・デヒ)・文昌克候補に続き、李丙ギ(イ・ビョンギ)国家情報院長と金明洙(キム・ミョンス)社会副首相候補まで落馬させようと戦意を燃やしているようだが、すでに野党の「人事破壊疲労感」が底辺に広がっていることを知るべきだ。世論の主導権さえ握れば政治は勝利すると考えているかもしれないが、実際、選挙の民心が予想外の結果をどれほど多く出しただろうか。合意型政治文化は大統領と政府・与党の決断だけでは不可能だ。野党が国政の批判者だけでなく責任者だという認識を見せてこそ可能だ。両手の手のひらが合わさってこそ音が鳴るのと同じ論理だ。国政はまひし、国民は分裂し、国家は弱まる危険レベルに達していることを、大統領と政界は直視しなければならない。
朴槿恵(パク・クネ)大統領はセウォル号を経験しながら、国家改造レベルの国の革新をすると述べたが、むしろ国民の分裂ばかり深まっている。セウォル号事故以前に国家アジェンダとして朴大統領が前面に出した公共改革、規制との戦争、経済革新3カ年計画のビジョンは、過去の話のようになっている。活発に活動すべき執権2年目の大統領としては非常に無力な姿だ。国政運営の一大危機の中で、この問題を解いていくべき人は朴大統領自身だ。大統領と青瓦台は孤立から抜け出さなければならない。朴大統領は3人目の首相候補を選ぶ際、青瓦台参謀と秘線の話ばかり聞くのではなく、セヌリ党、さらに野党の新政治民主連合の推薦を受ける必要がある。原則的に3権分立が厳然な大統領制で、大統領が全面的に自己責任の下で人事権を行使するのは当然だ。しかしこの政権に入って首相人事が3度も失敗した理由を考える必要がある。大統領の独自の人事が招いた結果ではないだろうか。このため野党と一緒にする新しい政治実験をするのがよいということだ。たとえ野党が推薦する人物を選択しないとしても、こうした手続き自体が合意型あるいは統合型政治文化を作っていく第一歩となる可能性がある。これ以上の失敗は許されないため、十分に時間をかけて人を選ぶことを望む。
新政治連合も国政まひの責任から自由でない。新政治連合は大統領が指名した公職候補を一人ずつ倒すことが野党の義務のように勘違いしては困る。安大熙(アン・デヒ)・文昌克候補に続き、李丙ギ(イ・ビョンギ)国家情報院長と金明洙(キム・ミョンス)社会副首相候補まで落馬させようと戦意を燃やしているようだが、すでに野党の「人事破壊疲労感」が底辺に広がっていることを知るべきだ。世論の主導権さえ握れば政治は勝利すると考えているかもしれないが、実際、選挙の民心が予想外の結果をどれほど多く出しただろうか。合意型政治文化は大統領と政府・与党の決断だけでは不可能だ。野党が国政の批判者だけでなく責任者だという認識を見せてこそ可能だ。両手の手のひらが合わさってこそ音が鳴るのと同じ論理だ。国政はまひし、国民は分裂し、国家は弱まる危険レベルに達していることを、大統領と政界は直視しなければならない。
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