「5年前の国家対抗戦で柳賢振(リュ・ヒョンジン)を実際に見て、徹底的に研究した立場から、今では同じチームの家族になったのだから、感慨無量だ。人の運命は分からないというが、まだ若い柳賢振がドジャースのために26年ぶりのワールドシリーズ制覇を果たすことを望む」。
1980年代にドジャース所属で活躍したメキシコ出身の左腕投手フェルナンド・バレンズエラ氏(53)。彼がドジャースの後輩投手として活躍中の柳賢振にかける期待は大きい。バレンズエラ氏は4日、ドジャースタジアムの記者室で、中央SUNDAYの単独インタビューに応じ、柳賢振と韓国野球について話した。
バレンズエラ氏は「国際舞台で実際に経験した韓国チームは本当にスピードがあるという印象を受けた」とし「当時20代初めにすぎなかった柳賢振も、制球力が非常によい投手としてはっきりと覚えている」と話した。
バレンズエラ氏は2009年3月の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、メキシコ代表の投手コーチを務めた。2008年北京オリンピック(五輪)決勝戦で8イニング1/3までキューバ打線を2点に抑えた先発・柳賢振の好投で韓国が3-2で勝ったことを、メキシコの選手に想起させながら準備したと紹介した。
結果的にメキシコ打線は柳賢振を打ち崩した。当時、サンディエゴのペトコパークで行われたWBC第2ラウンド初戦で、優勝候補に挙がっていたメキシコは、柳賢振が先発した韓国を相手に2回表まで5安打をマーク、2-0として柳賢振を早くに降板させた。しかし皮肉にも韓国の継投陣から追加点を奪えず8-2で逆転負けし、第3ラウンド進出はならなかった。
バレンズエラ氏は「韓国チームの長短所を細かくメモしたが、メジャーリーガーで構成されたメキシコが韓国国内リーグ中心の無名選手に完敗することまでは考えられなかった」と打ち明けた。「特に最高の球威を誇るエースのオリバー・ペレスが韓国チームに2本の本塁打を浴びた。その時、柳賢振の存在と韓国野球のレベルを知った」。バレンズエラ氏は3年後の第4回WBCでの再対決を期待しながら、「メキシコがまた柳賢振の韓国と対戦することになれば、厳しいゲームになるだろう」と話した。
バレンズエラ氏はドジャースの歴史に欠かせない“左腕伝説”として通じる。メキシコ・ソノラ州の小都市ナボホア出身で、12兄弟姉妹の末っ子のバレンズエラ氏は、17年間のメジャー生活で173勝153敗、防御率3.54、2074奪三振という輝かしい成績を残した。また81、88年と、2度もワールドシリーズ優勝を経験した。
バレンズエラ氏は柳賢振について「自分と似ているところが少なくない」と話した。「英語をあまり話せないがハンサムで大きな体型、ドジャースの外国人左腕先発投手、剛速球より制球中心の頭脳ピッチングをするというのが、柳賢振と私の共通点だ」。
インタビューの最後にバレンズエラ氏は柳賢振との共通点をもう一つ挙げた。「柳賢振も私も、もし他の球団にいれば、LAでのように大きな人気は得られなかったかもしれない」ということだ。
33年前、バレンズエラ氏のメジャーデビューには幸運もあった。ヒューストン・アストロズとの開幕戦先発に予定されていたドジャースのエース、ジェリー・ロスが前日にけがをし、代わりの先発がいない状況となった。トミー・ラソーダ監督は悩んだ末、まだ20歳の新人中継ぎバレンズエラ氏を代わりに開幕戦の投手に指名した。打者の外側に曲がるスクリューボールが武器のバレンズエラ氏は、全国に生放送されたオープニングデーで2-0と完封勝ちし、コーチングスタッフの注目を集めた。その後、5回の完封勝ちをはじめ、シーズン中盤まで8連勝し、0.50という幻想的な防御率をマークした。
(中央SUNDAY第378号)
<大リーグ>「柳賢振と韓国野球の実力、5年前のWBCで知った」(2)
1980年代にドジャース所属で活躍したメキシコ出身の左腕投手フェルナンド・バレンズエラ氏(53)。彼がドジャースの後輩投手として活躍中の柳賢振にかける期待は大きい。バレンズエラ氏は4日、ドジャースタジアムの記者室で、中央SUNDAYの単独インタビューに応じ、柳賢振と韓国野球について話した。
バレンズエラ氏は「国際舞台で実際に経験した韓国チームは本当にスピードがあるという印象を受けた」とし「当時20代初めにすぎなかった柳賢振も、制球力が非常によい投手としてはっきりと覚えている」と話した。
バレンズエラ氏は2009年3月の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、メキシコ代表の投手コーチを務めた。2008年北京オリンピック(五輪)決勝戦で8イニング1/3までキューバ打線を2点に抑えた先発・柳賢振の好投で韓国が3-2で勝ったことを、メキシコの選手に想起させながら準備したと紹介した。
結果的にメキシコ打線は柳賢振を打ち崩した。当時、サンディエゴのペトコパークで行われたWBC第2ラウンド初戦で、優勝候補に挙がっていたメキシコは、柳賢振が先発した韓国を相手に2回表まで5安打をマーク、2-0として柳賢振を早くに降板させた。しかし皮肉にも韓国の継投陣から追加点を奪えず8-2で逆転負けし、第3ラウンド進出はならなかった。
バレンズエラ氏は「韓国チームの長短所を細かくメモしたが、メジャーリーガーで構成されたメキシコが韓国国内リーグ中心の無名選手に完敗することまでは考えられなかった」と打ち明けた。「特に最高の球威を誇るエースのオリバー・ペレスが韓国チームに2本の本塁打を浴びた。その時、柳賢振の存在と韓国野球のレベルを知った」。バレンズエラ氏は3年後の第4回WBCでの再対決を期待しながら、「メキシコがまた柳賢振の韓国と対戦することになれば、厳しいゲームになるだろう」と話した。
バレンズエラ氏はドジャースの歴史に欠かせない“左腕伝説”として通じる。メキシコ・ソノラ州の小都市ナボホア出身で、12兄弟姉妹の末っ子のバレンズエラ氏は、17年間のメジャー生活で173勝153敗、防御率3.54、2074奪三振という輝かしい成績を残した。また81、88年と、2度もワールドシリーズ優勝を経験した。
バレンズエラ氏は柳賢振について「自分と似ているところが少なくない」と話した。「英語をあまり話せないがハンサムで大きな体型、ドジャースの外国人左腕先発投手、剛速球より制球中心の頭脳ピッチングをするというのが、柳賢振と私の共通点だ」。
インタビューの最後にバレンズエラ氏は柳賢振との共通点をもう一つ挙げた。「柳賢振も私も、もし他の球団にいれば、LAでのように大きな人気は得られなかったかもしれない」ということだ。
33年前、バレンズエラ氏のメジャーデビューには幸運もあった。ヒューストン・アストロズとの開幕戦先発に予定されていたドジャースのエース、ジェリー・ロスが前日にけがをし、代わりの先発がいない状況となった。トミー・ラソーダ監督は悩んだ末、まだ20歳の新人中継ぎバレンズエラ氏を代わりに開幕戦の投手に指名した。打者の外側に曲がるスクリューボールが武器のバレンズエラ氏は、全国に生放送されたオープニングデーで2-0と完封勝ちし、コーチングスタッフの注目を集めた。その後、5回の完封勝ちをはじめ、シーズン中盤まで8連勝し、0.50という幻想的な防御率をマークした。
(中央SUNDAY第378号)
<大リーグ>「柳賢振と韓国野球の実力、5年前のWBCで知った」(2)
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