2005年4月に休戦ライン南西部を担当する第3軍司令官に就任した直後から国防部長官時代まで、執務室には常に北朝鮮軍の責任者の写真をかけていた。第3軍司令官時代には当時の北朝鮮第2軍団長だった金格植(キム・ギョクシク)の写真を、合同参謀本部議長と国防部長官時代には執務室に金正日(キム・ジョンイル)、張成沢(チャン・ソンテク)、金英春(キム・ヨンチュン)(当時の総参謀長)の写真をかけておき、毎日見ていた。今は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記と黄炳瑞(ファン・ビョンソ)総政治局長の写真がある。
「敵将の考えを読むためには常に顔を合わせていなければいけない」という考えのためだ。「北側は私が何をするかすべて知っている。私が遊べば北の指揮部が別の考えをする可能性がある」とし、土曜日も休まなかった。このため“レーザー・キム”と呼ばれるようになった。北朝鮮の挑発に断固対応すべきだと強調する時、目から火がでるようだとして、後輩が付けた別名だ。
執務室には金正恩の写真…金寛鎮氏がまた「救援登板」(2)
「敵将の考えを読むためには常に顔を合わせていなければいけない」という考えのためだ。「北側は私が何をするかすべて知っている。私が遊べば北の指揮部が別の考えをする可能性がある」とし、土曜日も休まなかった。このため“レーザー・キム”と呼ばれるようになった。北朝鮮の挑発に断固対応すべきだと強調する時、目から火がでるようだとして、後輩が付けた別名だ。
執務室には金正恩の写真…金寛鎮氏がまた「救援登板」(2)
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