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【コラム】セウォル号の主犯は市民がいない民主政治(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
初めて接した大統領の涙は粛然たるものだった。ところが、その感動が薄れるのに長い時間はかからなかった。どういうことだろうか、この矛盾は。国家改造の雄壮な確約が国民の深い響きをかもし出せない理由は何か。こういう感じは、ただ私の鈍い感覚だけが理由ではなかった。大統領の切々たる談話にもかかわらず、執権与党の下降が反転しない結果がそれを語っている。国民の胸は悲痛だが、判断の刃はいつよりも鋭い。


国民が大統領の談話に期待したのは、セウォル号の事後処理もそうだが、その後にくる「2次衝撃」をどう治癒するかにあった。赤裸々に表れた国家の無能、それなりに頼ってきた公共の実体が空しいものだという自嘲と虚脱感を、どんな形で修正するかに注視したのだ。国民は何となく感じたはずだ。崩壊した公概念を再建する主体は公の最高管理者である「国家」ではなく、公の発源地である市民と市民社会だということを。ところが大統領の談話で、市民と市民社会は依然として見物人だ。公概念の再建にまた主役として出てきた国家のチャネルには、遺族に対する徹底した保護意志と傷ついた大衆心理の治癒問題が雑音混じりの周波数のように明瞭にとらえられなかった。




【コラム】セウォル号の主犯は市民がいない民主政治(2)

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