彼に会いに向かいつつも、ニュースという確信は少なかった。英国議会で北脱出者が証言するのは初めてではないからだ。それでも出かけたのは場所のためと言わざるを得ない。1097年に建設されたウェストミンスター・ホールを横切ることができるからだ。今月初め、英国議会の「ルーム4A」に向かっていた時の心情だ。
彼と議員・専門家たちとの対話を90分余り見守って考えが変わった。終始格別だったためだ。その中心には彼の英文本『Dear Leader(親愛なる指導者)』があった。金正日(キム・ジョンイル)総書記から「私の作家」と呼ばれた北朝鮮の宣伝文筆家であったが、北朝鮮の実状に目を開き、2004年に脱北してソウルに来るまでの経験が書かれれた一種の手記であった。
行事の後にも彼の周辺から人が減るまでは時間がかかった。もう話しかけてもかまわないかと思えばマネジャーのような人物が「今はだめだ」と制止した。果たして記者のような人がカメラと録音機を持ったまま待っていた。そういえば行事前にも「CNNとインタビュー中」という話を聞いた。
翌日午前、ようやく彼に会うことができた。脱北詩人、張真晟(チャン・ジンソン、43)だ。張氏は近ごろ外国のほうでより注目されているようだ。最近、米国NBC、CNNと英国BCCに出演したし、日刊紙ザ・タイムズ、ファイナンシャルタイムズ、ガーディアン、USAトゥデイ、週刊誌エコノミストなどで張氏の本や背景が扱われた。ソウルに帰ったかと思ったらニュージーランドにいるとか、すぐに東南アジアにも行くなどと言う。9月には北米ブックツアーにも出るという。英文版発刊が契機であった。張氏は自ら「本によって稀有なことが起こる」と語った。
--西欧からの関心が格別だ。
「(韓国語の本の時とは)次元が違うとは思った。文化への説得が最も重要だと思う。2012年のロンドンオリンピックの時に感じたことだが、人権先進国であるほど文化先進国ということだ。私は政治でなく文化で話して説得しようとした」
張氏が話した「ロンドンオリンピックの時」は当時開かれた世界詩人大会を指す。204カ国を代表する詩人が参加したが、張氏は北朝鮮代表だった。西欧では張氏が北朝鮮の宣伝文筆家出身という事実に注目した。実際は韓国でも『わたしの娘を100ウォンで売ります』(ハングル版2008年、英文版2010年)を出したため「韓国詩人」でもあった。
--このような反応を予想したか。
「できなかった。ランダムハウスも予想できなかったと言っていた。メディアに本を1冊ずつ送ったが、それを見て連絡したそうだ」
西欧の書評は概して好意的だった。英ザ・タイムズ紙日曜版では張氏が表紙の人物になった。ザ・タイムズ紙は「(張氏の本は)読者らを地球上で最も凄じいところに連れていく。歴史的文献としても非常に重要な本であり、直ちに古典と言うに値する」とした。「将来の歴史家でなければ、張氏の本がどれほど新しい情報を含んでいるのか分からない」としつつ、内容の真実性については留保的評価をした英フィナンシャルタイムズ紙も「北朝鮮に対する暴露こそ、この本があたえる重大な点」といった。
--英文版を出すことになった契機は。
「『わたしの娘を100ウォンで売ります』の詩集を見てエージェントが訪ねてきた。その中の1人と2012年末に契約した。翌年、本を書いてくれと言われて手記を描いた。それが英国のランダムハウスと契約することになった。米国出版社とも別途契約をするのに11社が競売したと聞いた」
10万ドルから出発した契約金がこの過程で高騰したようだ。張氏のエージェントは「かなり大きい(great)6桁の数字」と言った。100万ドルに肉迫したようだ。
--本を見た編集者の最初の反応はどのようだったか。
「泣いたと言っていた。北朝鮮のこのような現実を今までなぜ誰も語らなかったのか、21世紀なのになぜ私達が知らずにいたのかと思ったそうだ。今まで北朝鮮について出たものは証言に基づいて外国人が書いたものだった。だから具体的感情描写がどうしても…」
--韓国では相対的にあまり注目されていないが。
「あまりにも北朝鮮問題に関心がないからだ。脱北文学といえば敬遠する。今回を契機に北朝鮮から来られた方達が脱北文学を国際化できるようにたくさん文章を書けばよいと思う。」
--韓国では作品活動が活発ではなかった。今回のことで本業が作家という感じがしたのではないか。
「そうだ。結局どんな訴えより真実への訴え、人に訴えかけることが重要なことを感じた。
出版社からまた2作目を要求している。今はもう道が開かれているから…」
外国でより有名な脱北詩人「韓国作家、北人権を敬遠」(2)
彼と議員・専門家たちとの対話を90分余り見守って考えが変わった。終始格別だったためだ。その中心には彼の英文本『Dear Leader(親愛なる指導者)』があった。金正日(キム・ジョンイル)総書記から「私の作家」と呼ばれた北朝鮮の宣伝文筆家であったが、北朝鮮の実状に目を開き、2004年に脱北してソウルに来るまでの経験が書かれれた一種の手記であった。
行事の後にも彼の周辺から人が減るまでは時間がかかった。もう話しかけてもかまわないかと思えばマネジャーのような人物が「今はだめだ」と制止した。果たして記者のような人がカメラと録音機を持ったまま待っていた。そういえば行事前にも「CNNとインタビュー中」という話を聞いた。
翌日午前、ようやく彼に会うことができた。脱北詩人、張真晟(チャン・ジンソン、43)だ。張氏は近ごろ外国のほうでより注目されているようだ。最近、米国NBC、CNNと英国BCCに出演したし、日刊紙ザ・タイムズ、ファイナンシャルタイムズ、ガーディアン、USAトゥデイ、週刊誌エコノミストなどで張氏の本や背景が扱われた。ソウルに帰ったかと思ったらニュージーランドにいるとか、すぐに東南アジアにも行くなどと言う。9月には北米ブックツアーにも出るという。英文版発刊が契機であった。張氏は自ら「本によって稀有なことが起こる」と語った。
--西欧からの関心が格別だ。
「(韓国語の本の時とは)次元が違うとは思った。文化への説得が最も重要だと思う。2012年のロンドンオリンピックの時に感じたことだが、人権先進国であるほど文化先進国ということだ。私は政治でなく文化で話して説得しようとした」
張氏が話した「ロンドンオリンピックの時」は当時開かれた世界詩人大会を指す。204カ国を代表する詩人が参加したが、張氏は北朝鮮代表だった。西欧では張氏が北朝鮮の宣伝文筆家出身という事実に注目した。実際は韓国でも『わたしの娘を100ウォンで売ります』(ハングル版2008年、英文版2010年)を出したため「韓国詩人」でもあった。
--このような反応を予想したか。
「できなかった。ランダムハウスも予想できなかったと言っていた。メディアに本を1冊ずつ送ったが、それを見て連絡したそうだ」
西欧の書評は概して好意的だった。英ザ・タイムズ紙日曜版では張氏が表紙の人物になった。ザ・タイムズ紙は「(張氏の本は)読者らを地球上で最も凄じいところに連れていく。歴史的文献としても非常に重要な本であり、直ちに古典と言うに値する」とした。「将来の歴史家でなければ、張氏の本がどれほど新しい情報を含んでいるのか分からない」としつつ、内容の真実性については留保的評価をした英フィナンシャルタイムズ紙も「北朝鮮に対する暴露こそ、この本があたえる重大な点」といった。
--英文版を出すことになった契機は。
「『わたしの娘を100ウォンで売ります』の詩集を見てエージェントが訪ねてきた。その中の1人と2012年末に契約した。翌年、本を書いてくれと言われて手記を描いた。それが英国のランダムハウスと契約することになった。米国出版社とも別途契約をするのに11社が競売したと聞いた」
10万ドルから出発した契約金がこの過程で高騰したようだ。張氏のエージェントは「かなり大きい(great)6桁の数字」と言った。100万ドルに肉迫したようだ。
--本を見た編集者の最初の反応はどのようだったか。
「泣いたと言っていた。北朝鮮のこのような現実を今までなぜ誰も語らなかったのか、21世紀なのになぜ私達が知らずにいたのかと思ったそうだ。今まで北朝鮮について出たものは証言に基づいて外国人が書いたものだった。だから具体的感情描写がどうしても…」
--韓国では相対的にあまり注目されていないが。
「あまりにも北朝鮮問題に関心がないからだ。脱北文学といえば敬遠する。今回を契機に北朝鮮から来られた方達が脱北文学を国際化できるようにたくさん文章を書けばよいと思う。」
--韓国では作品活動が活発ではなかった。今回のことで本業が作家という感じがしたのではないか。
「そうだ。結局どんな訴えより真実への訴え、人に訴えかけることが重要なことを感じた。
出版社からまた2作目を要求している。今はもう道が開かれているから…」
外国でより有名な脱北詩人「韓国作家、北人権を敬遠」(2)
この記事を読んで…