曲折も多かった。魚がうまく暮らせるようにするには定期的に水槽の清掃をしなければならなかった。時に水垢が取れない時は化学薬品を動員して清掃をする。水を再び入れる前に中和剤を使って水質を合わせるが、「失敗」のために翌朝に死んでしまった魚の群れを見たこともたびたびだった。「人災」だった。数百個の水槽のために水を供給するポンプは一晩中動かした。冷暖房空調施設も24時間稼動しなければならず、片時も緊張を緩めることはできなかったが、何度も「事故」が起きた。これではだめだと思った。勉強が必要だった。隣国の日本は60~70カ所の水族館があるのに対し韓国は学ぶ所がなかった。彼が働くところが韓国第1号の水族館だったためだ。彼の学びの場となったのは海外だった。会社の褒賞次元で行った海外水族館探訪が始まりになった。他の観覧客はサメやピラニアのような異色な魚を見物するのに気を取られていたが、彼は水槽の形と水草、石、水族館の観覧動線を細かく見た。写真も熱心に撮った。ホテルに帰ってくると細かく日記を書いた。アフリカを除き世界の水族館はすべて回ったほどで、集めた写真は数万枚を超えた。
2007年に束草市(ソクチョシ)から連絡がきた。「水族館を作ってほしい」というものだった。最初は水族館を作る工事業者を紹介してしまったが、設計を引き受けた会社が「水槽をおもしろく作りたいので助けてほしい」として訪ねてきた。額を突き合わせ円筒形の水槽を作り出した。束草の5億ウォンの事業が終わると、すぐ翌年には10億ウォン規模のソウル子ども大公園海洋動物館の改善・補修事業の依頼が舞い込んできた。自信がついて「設計」に目を開き始めた。信じられないことに全羅南道(チョンラナムド)の霊光(ヨングァン)原子力発電所の「エネルギーアクアリウム」(50億ウォン・2009年)事業まで相次いだ。麗水(ヨス)万博会場の大型水族館と済州(チェジュ)ハンファアクアプラネット(2012年7月オープン)の1000億ウォン台のプロジェクトまで引き受けることになった。麗水と済州の水族館設計をするために約4年を家の外で生活しなければならなかったがやり甲斐があった。特許も生まれた。日本のある小さな水族館で見た「真空水槽」に着眼し、韓国では初めて「開放型」の真空水槽を設計した。底を全面ガラスで作り、観覧客が上を歩いて足元の魚を見られるようにした「スリルウォーター」という展示技法も彼の発想から出た。彼は「アクアリウムを訪れた子どもたちと観覧客が全面ガラスの上を歩き、『ガチャン』というガラスが割れる音を聞かせると楽しそうな大声を出すが、その時が一番やりがいを感じる」と話す。彼の手を経た済州ハンファアクアプラネットは昨年月間最多訪問客が14万7000人に達するほど人気を独占している。
キムさんは最近、だれもやったことがない「水族館輸出」を準備している。中国の企業2~3社から、「63アクアリウムをそのまま持っていきたい」と提案してきたのがきっかけとなった。63シーワールドは昨年基準で月間最多訪問客が28万9000人に達する観光名所だ。中国人観覧客も多く、彼は中国人客をターゲットに水族館の動線のいちばん最後に壁全体に赤い魚が群れになって泳ぐ「赤い水槽」を設けたが、それが目を引いたようだった。彼の夢は「テーマパーク」の設計だ。水族館をメインにしたテーマパークを作りたくこの数年間にわたり「空間デザイン」の勉強のため大学院入学試験に受験している。不合格を繰り返しているが、「あきらめるつもりはない」と話す。彼は「いまでも熱心に水族館概論のような外国書籍を見ながら韓国ならではの“韓国式”水族館学を整理している。今年で26年目になる経験を後輩に受け継がせるよう努力したい」と話している。
中国に輸出提案受けるまでになった韓国の水族館…「最初は日本を見よう見まねだった」(1)
2007年に束草市(ソクチョシ)から連絡がきた。「水族館を作ってほしい」というものだった。最初は水族館を作る工事業者を紹介してしまったが、設計を引き受けた会社が「水槽をおもしろく作りたいので助けてほしい」として訪ねてきた。額を突き合わせ円筒形の水槽を作り出した。束草の5億ウォンの事業が終わると、すぐ翌年には10億ウォン規模のソウル子ども大公園海洋動物館の改善・補修事業の依頼が舞い込んできた。自信がついて「設計」に目を開き始めた。信じられないことに全羅南道(チョンラナムド)の霊光(ヨングァン)原子力発電所の「エネルギーアクアリウム」(50億ウォン・2009年)事業まで相次いだ。麗水(ヨス)万博会場の大型水族館と済州(チェジュ)ハンファアクアプラネット(2012年7月オープン)の1000億ウォン台のプロジェクトまで引き受けることになった。麗水と済州の水族館設計をするために約4年を家の外で生活しなければならなかったがやり甲斐があった。特許も生まれた。日本のある小さな水族館で見た「真空水槽」に着眼し、韓国では初めて「開放型」の真空水槽を設計した。底を全面ガラスで作り、観覧客が上を歩いて足元の魚を見られるようにした「スリルウォーター」という展示技法も彼の発想から出た。彼は「アクアリウムを訪れた子どもたちと観覧客が全面ガラスの上を歩き、『ガチャン』というガラスが割れる音を聞かせると楽しそうな大声を出すが、その時が一番やりがいを感じる」と話す。彼の手を経た済州ハンファアクアプラネットは昨年月間最多訪問客が14万7000人に達するほど人気を独占している。
キムさんは最近、だれもやったことがない「水族館輸出」を準備している。中国の企業2~3社から、「63アクアリウムをそのまま持っていきたい」と提案してきたのがきっかけとなった。63シーワールドは昨年基準で月間最多訪問客が28万9000人に達する観光名所だ。中国人観覧客も多く、彼は中国人客をターゲットに水族館の動線のいちばん最後に壁全体に赤い魚が群れになって泳ぐ「赤い水槽」を設けたが、それが目を引いたようだった。彼の夢は「テーマパーク」の設計だ。水族館をメインにしたテーマパークを作りたくこの数年間にわたり「空間デザイン」の勉強のため大学院入学試験に受験している。不合格を繰り返しているが、「あきらめるつもりはない」と話す。彼は「いまでも熱心に水族館概論のような外国書籍を見ながら韓国ならではの“韓国式”水族館学を整理している。今年で26年目になる経験を後輩に受け継がせるよう努力したい」と話している。
中国に輸出提案受けるまでになった韓国の水族館…「最初は日本を見よう見まねだった」(1)
この記事を読んで…