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【コラム】ヨナと浅田の同伴ジャンプ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
ソチ冬季オリンピックで釈然としない判定で銀メダルにとどまったキム・ヨナ選手は、不公正判定疑惑を一蹴した。「金メダルはより切実な人のところに行ったと思っている」。2010年バンクーバーオリンピックで感激の金メダルを首にかけた後、2連覇を達成するために腰骨がよじれ足の指が縮むような苦痛をこらえながら4年間、辛い練習を重ねてきた若者の言葉とは信じられない。円熟した品格がにじみ出た金メダルの価値がある雄弁だった。

フィギュアファンだけでなく韓国国民皆に感動と希望を持たらしたキム・ヨナ選手は、スポーツ神話に女神の名前を刻んで引退した。サンサーンスの『死の舞踏』、リムスキー=コルサコフの『シェヘラザード』が流れる氷上を花蝶々のように飛び回ったキム・ヨナのスケートはそれこそ息詰まる戦慄の舞踏、アラビアの王妃のように優雅で異彩な舞いだった。23歳の堂々とした淑女を、ただ「ヨナ」と呼んでもおかしくないほどに彼女は気立てが優しく親しみのある私たちの娘であり姪っ子であり、妹なのだ。

ヨナの10年来のライバルである日本の浅田真央選手は、ソチで天国と地獄を味わった。ショートで尻もちをついて16位にまで下がった浅田は、フリーで完ぺきなトリプルアクセルを繰り広げて総合6位を記録した。浅田はこのように回顧する。「キム・ヨナはとても立派な選手だ。私のスケート人生で1つの良い思い出ではないかと思う」。ヨナもやはり「浅田真央がいなかったとすれば私がこれほどまでに成長できなかっただろう」とたたえた。


ヨナの後ろには母親をはじめとする家族皆の涙ぐましい世話と犠牲があったように、浅田にも胸を切られるような母親の愛があった。浅田を世界的選手として育てた彼女の母親は、娘がトリプルアクセルの練習に没頭する間に肝臓がんの診断を受けて病床に伏せた。浅田は母親に自分の肝臓を移植しようとしたが、自分の体より娘の前途を心配した母親はついて肝移植を拒否したまま48歳で亡くなった。浅田の小さな胸には血の涙がたまったことだろう。

最後のオリンピック舞台でメダル順位に届かず、大泣きしていた浅田の姿がテレビ画面に映った瞬間、三国志で周瑜が泣き叫ぶ姿が頭をかすめた。「この世に周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮をも生んだのか(既生瑜、何生亮)」。周瑜は劣敗感に崩れたが、浅田がそうならないことを願う。ヨナの陰に隠れながら長い間胸を張ることが出来なかった浅田にも、ヨナに劣らず栄光なる引退が準備されることを期待する。



【コラム】ヨナと浅田の同伴ジャンプ(2)

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