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【コラム】日本漫画『自虐の詩』に見る人生の意味

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

漫画『自虐の詩』 1巻表紙[写真提供=セミコロン]

初めはこの漫画が嫌いだった。「笑いと涙が共存する」というが、笑うことも泣くこともできなかった。貧しい夫婦の日常を描く4コマのエピソードが続くこの漫画の笑いポイントは主に食卓をひっくり返す夫の姿だ。職はなく、競馬場やパチンコに出入りして酒と賭博を楽しむ文無しのプー太郎、イサオ。特技は「カッとなること」だ。ご飯がまずい、ビールがぬるいと食卓をひっくり返し、マージャンをして不利になれば盤をひっくり返し、警察の態度が気にくわないと言って警察署の机をひっくり返してしまう。

夫人、幸江は疲れきっている。一日中食堂で仕事をして稼いだお金は夫の賭博に飛んで行く。家では食事の準備から夫の灰皿の待機まで全部彼女の役割だ。それでも「幸せだ」と言う。「テーブルをひっくり返す時も私が傷つかないように気を遣う」夫だから好きだという。「暴力的な夫と生きて幸せだと話す女」を描いた漫画は1996年に日本で出版された時から論争を起こした。「むかつく」から「マゾヒスト(masochist)でなければ楽しめるか」という悪評にも苦しめられた。だが、このような論議の中で漫画は大きく話題になったし、2007年に映画まで作られた。

主人公、幸江の話は2巻から本格的に登場する。母親が家を出て行って、夫に劣らず「食卓をひっくり返す」大家(たいか)であった父親と二人きりで送った幼少期。町内の子供には「ドラキュラ」というあだ名で呼ばれ、学校では「存在感ゼロ」であった学生時代が悲しくもユーモラスに繰り広げられる。朝夕、アルバイトで苦労し「今すぐにでも人生に負けてしまいそうだ」考えた少女。このような幸江がただ一人の友人に出会い、あたたかさを知っていく過程、そしてイサオというひどいが「自分の味方」である男に出会って愛しはじめる話は涙ぐましい。幸江がなぜこのような『自虐の詩』を書いているのか少しばかり分かりそうな気がしてくる。


時々、心がどん底に落ちそうな時にはこの漫画を引っ張り出す。最近、人生のある地点でこれ以上生きるべき理由がないという結論を出した人々の話に接しながら、度々この漫画を思い出した。その暗黒がどんなものなのか分かるとは到底言えない。なぜもう少し頑張ってみなかったのかと咎める資格もない。ただ、漫画の最後に、幸江が自分を捨てていなくなった母親に書いたこの手紙を思い出す。「おかあちゃん、この人生を二度と幸や不幸ではかりません。人生には意味があるだけです。ただ人生の厳粛な意味を噛みしめていけばいい。勇気がわいてきます。」

イ・ヨンヒ文化スポーツ部門記者



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