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【噴水台】ブラジルワールドカップの“キム・ヨナ”パフォーマンス?

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

イラスト=キム・フェリョン

2002年の韓日ワールドカップが終わって2~3カ月後にイタリアに行った時のことだ。ローマに留学に来て途中でやめたという韓国人ガイドと何日か同行したが、ちょうど話題がサッカーになった。韓国とイタリアのワールドカップの試合の話を取りあげたところ、ガイドがいきなり怒った。

「韓国人選手はなぜあんなに荒っぽいのですか。サッカーではなくテコンドーをしたのではないですか。実力がだめなら殴ってもかまわないのですか。サッカーが終わって1週間、家の外に出られませんでした。子供たちは学校にも行けませんでした。しばらく韓国人であることを隠して暮らしていたそうです。最近でもテレビに出てくるので一度見てください」。

ガイドの言葉は正しかった。その日の夜のテレビは韓国とイタリアの試合を編集したシーンを流していた。驚いた。イタリアの選手たちは一様に蹴られて倒れていた。反則をはばからなかったのは例外なく韓国の選手だった。トッティがハリウッドアクションで退場させられる場面も、別のカメラ角度で見ると宋鐘國(ソン・ジョングク)につまずかされるように映った。私が知っている、いや韓国人のだれもが記憶しているその試合ではなかった。


世の中は見たいように見える。スポーツで判定が問題になるのは勝負で負けた時、そのときだけだ。勝ちさえすれば判定は問題になることがない。不利な判定は、むしろ勝利の感動だけが倍加する。判定を問題にするのはいつも敗者の持分だった。イタリアが韓国のような国に負けたのは、イタリア人への開催国の嫌がらせでなければ有り得ないことだった。

フィギュアスケートの判定を指摘する海外メディアの報道が相次いだ。異例なことだ。利害関係のない第三者の目にも不合理な何かが見えたということだからだ。彼らが相槌を打つたびに、痛い胸がさらに痛む。いまやっと傷にかさぶたができたぐらいだ。あるいは結果がひっくり返ってもロシアは頭を下げないだろう。判定のおかげで勝ったと話す勝者は世の中にはいない。

フィギュアスケートには芸術点がある。相手より先に走ったり相手のゴールポストにボールを入れたりと勝負が明確に分かれる競技も、ともすれば審判のために騒がしくなるのに、フィギュアスケートはあえて芸術に点数を付ける。芸術こそ極めて主観的な領域なのに一瞬の印象を数字で評価するのだ。芸術に順位を定める行為が公正だと信じていたとすれば、それはとても純真だったのだ。人間はそれほど理性的ではない。すべての霊長類の血は水よりも濃い。私もそうだ。

そういえばまたロシアだ。アン・ヒョンスのせいで居心地が悪かったが、キム・ヨナもロシアだ。よりにもよって6月18日のブラジルワールドカップの1次予選の相手もロシアだ。偶然にしては酷だ。韓国の選手がゴールを入れて“キム・ヨナ”パフォーマンスをするのではないか。韓日ワールドカップ米国戦の時の“オーノ”パフォーマンス(※)の痛烈な記憶もあるから。容易ではないだろう。空中3回転ジャンプぐらいは笑顔でしなければならないから。

ソン・ミンホ文化スポーツ部門記者

※“オーノ”パフォーマンス(ソルトレークシティ五輪スピードスケートで米国のオーノ選手が韓国人選手の進路妨害をオーバーアクションでアピールしたとして韓国内で非難の世論が高まり、W杯の米国戦でゴールを決めた韓国選手がオーノ選手の真似をして見せた)



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