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【社説】ソチ「氷の怪力」を平昌でも

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
ソチ冬季オリンピックが終わった。過ぎゆく冬と共に、ソチも歴史の中に入っていった。4年前のバンクーバーと同じぐらい、ソチも韓国人に感動的な冬の思い出として残っている。

若い選手たちは韓国の成就と可能性を体で証明した。氷上種目は陸上・水泳・新体操よりも摩擦力から自由になり、人間の技芸をより一層誇ることができる。その中でも圧巻は女子フィギュアだ。キム・ヨナは歴史上最も美しく優れた「クイーン」だった。納得しがたい判定で銀メダルとなったが、彼女が「歴史の金メダル」だというのは世界のメディアが認める。不当な結果でさえも潔く受け入れる、そんな選手が韓国人だということが驚くことであり誇らしい。

今回の大会で見られるように欧州スケート選手たちは氷上の支配者だ。そんな選手がイ・サンファを「氷上のウサイン・ボルト」だといった。イ・サンファは、水がたまった膝を克服してそんな神話を作った。彼女も韓国人だ。


17歳の女子高生シム・ソクヒは、最後の半周の逆転スパートで世界を驚かせた。末っ子の闘魂に刺激されて姉貴分のパク・スンヒもついに金メダルを手にした。彼らはみな韓国の新世代だ。チームパシュート(団体追い抜き)で2位になった男子スピードスケートやカーリング・スキー・ソリで最善を尽くした「名前の分からない選手たち」…彼らもみな韓国人だ。

アン・ヒョンスは8年ぶりに「金メダル3つ」を再び獲得した。これは冬季オリンピック史上初めてだ。国籍はロシアだが、彼はあくまでも韓国の息子だ。キムチとテンジャンチゲを食べて育った。

韓国人の「氷上の怪力」には事実、根っこがある。1964年インスブルック冬季オリンピックで北朝鮮のハン・ピルファが女子3000メートルで銀メダルを取った。アジア人がオリンピックのスピードスケートでメダルを取ったのはハン・ピルファが初めてだ。その血が数十年間、韓国の乙女たちに流れていた。ハン・ピルファを出した北朝鮮は50年が過ぎた今年、1人も出場権が得られなかった。同じ韓民族として気が重く、辛い。

すでにソチは行き、平昌(ピョンチャン)が来ている。1988年のソウルオリンピック以前は「半分の8年」だった。88年は自由・共産陣営がみな参加した完ぺきなオリンピックだった。88年以降、世界には理念を超えた開放の風が吹きつけた。ソ連と東欧圏が崩れた。88年が歴史の変革に寄与したのだ。

2018年の平昌冬季オリンピックは、88年以降30年ぶりだ。88年のように平昌も歴史を作ることができる。正しく和合的で経済的なオリンピックにならなければならない。ソチの「キム・ヨナ判定」をとがめるが、事実88年の時にも一部判定の是非が問われた。平昌は変わらなければならない。韓国と北朝鮮が共同ラインに向かえば平昌は和合と統一の「ジャンプ台」になりえる。

最も経済的に成功した冬季オリンピックとしては、2002年の米国ソルトレイクシティが挙げられる。ソチ予算の5分の1にもならない予算で効率的なオリンピックを作り出した。平昌は、固定投資を最小限に減らし事後の活用度に徹底して気を遣わなければならない。選手よりうまくできない国になってはいけない。



【特集】ソチ冬季オリンピック2014

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