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「失敗した大韓帝国の改革政策、日帝強制占領のきっかけに」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

ト・ミョンヒ教授

「日帝の韓国併合は、朝鮮の民の苦痛と改革熱望に便乗した侵略だった。当時、大韓帝国の反改革的政策が日帝侵略の口実を提供した」。

ト・ミョンヒ大田(テジョン)大学歴史文化学科教授(54)の主張だ。もしやと思った日本への期待が、苛酷な収奪の結果につながったということだろうか。ト教授が朝鮮に続く大韓帝国が滅びるまでの実状を振り返った本を最近出版した。『韓国近代刑事裁判制度史』(青い歴史社刊)だ。大韓帝国の滅亡には、日帝の武力だけでなく大韓帝国の刑事裁判制度も一役を担ったというのが要旨だ。ソウル大学国史学科で学士・修士・博士学位をとった彼は、進歩指向の学術団体である韓国歴史研究会の会長をつとめたことがある。「比象(ビサン)教育出版社」から出した高校の韓国史教科書の著者でもある。

韓国の史学界の主流理論は、日帝侵略がなかったら韓国が自主的に近代社会へと発展できたと見るいわゆる「内在的発展論」だ。ト教授の主張は、内在的発展論の限界を指摘している。彼は「大韓帝国期の貨幣・金融研究を通じて韓国社会の自主的発展の可能性を追跡したが限界があることを悟り、植民地化前後の時期の司法制度と政治・社会像を追跡することにした」と明らかにした。彼の話を聞いてみた。


--裁判制度と朝鮮の滅亡に何の関係があるのか。

「朝鮮末期、地方裁判官である郡守は罪のない人々を捕らえたり財産を奪ったりした。日本の統監部が収集した民心動向を見れば、朝鮮人が司法制度改革に期待をかけていたという内容がある。統監部は1908年、近代的司法教育を受けた日本人が参加した裁判所を作る。実際に無実の罪を着せられた朝鮮人の事件が、この裁判で解決された。2万人余りの朝鮮軍が銃一発も撃てないまま無力にやられたのが疑わしいと思わないか。その背景には内部的原因があると見た」

--朝鮮に新しい政治権力を創り出す勢力はなかったのか。

「独立活動家の朴殷植(パク・ウンシク)先生は、乙巳条約の締結後『私たちは政治ができなかった。自ら滅びたのだ』と言った。もちろん帝国主義的な雰囲気が一次的要因だ。だが内部改革がしっかり進んでいたら、朝鮮は危機を克服する力量を少なくとも育てることができただろう。大韓帝国は、裁判制度を首領が任意に判決を出す『殿様裁判』に戻した。改革に挫折した人々が、民権を蹂躪(じゅうりん)する国家を命賭けで守る理由が少なかったことと思われる」。

彼はこの部分で「歴史主義」という言葉を出した。歴史的に問題になる時期を、生きた人間の立場で歴史を見る視角をいう。

--親日派に対する見解は。

「当時は財産を奪われてムチ打ちの刑にあうなど苦難に会った人が多かった。このような弊害を日帝が改善すれば、人々はどう思うだろうか。独立新聞1899年10月の論説には『人の差別待遇や罪刑法定主義原則が無視されることが一度や二度ではない』と批判した。そのような状況で改革を望む者の中にも日帝に心が傾く人がいるかもしれない。現在のものさしだけでその時代を裁つのは難しいと考える」。



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