SKテレコム副会長に内定した林亨圭(イム・ヒョンギュ)元サムスン電子社長の声は多少上気していた。普段から感情表現はうまくない彼だが、新たな挑戦に対する期待感は大きく見えた。
――いつ知ったか。
「3カ月前にSKから(副会長として来てほしいという)メッセージを受けずっと悩んできた」
――どのような過程を通じて内定したのか。
「詳しい過程はわからない。李健熙(イ・ゴンヒ)サムスン会長と崔泰源(チェ・テウォン)SK会長の2人が許してくれてできたことだろう」
――これまでどのように過ごしていたか。
「(サムスン電子社長を退いてから)4年間遊んでいた(笑)。いまは仕事をする意欲がよみがえった。これまでの経験を基にSKグループのIT事業の大きな方向をリードしていきたい」
SKグループは22日、副会長級のICT(情報通信技術)技術成長総括職を新設し、林亨圭元サムスン電子社長を情報通信小グループ部門を担当する副会長に迎えると明らかにした。
林副会長はサムスンの半導体神話の主役の1人だ。ソウル大学電子工学科とKAIST電子工学修士を終えた後1976年にサムスン電子に入社した。83年に米フロリダ大学で電子工学で博士学位を取った。2005年にサムスン総合技術院長を経て2007年から2年間サムスン電子新事業チーム長として次世代半導体開発を導いた。林副会長は来月1日にSKテレコム副会長として正式に就任し、SKテレコムとSKハイニックス、SKC&Cをまとめた情報通信小グループを担当する。SKはソウル・乙支路(ウルチロ)の本社ビル32階にある崔会長の執務室の向かい側に林副会長の執務室を用意するなど最高の礼節を守ることにした。SKはまた、グループ運営体系であるスペックス追求協議会にICT技術成長総括部門を別途の委員会として設置することにした。SK関係者は、「林副会長の招いたのは崔会長が直接指示したもの。SKグループを電子・通信中心のグローバル企業へと変貌させるためのもの」と背景を説明した。
財界ではサムスン出身である林副会長と今月27日に就任する黄昌圭(ファン・チャンギュ)KT新会長による通信業界の“第2ラウンド”に注目している。同年齢、同郷、大学同窓で結ばれた2人の長い関係のためだ。1953年生まれの2人は釜山(プサン)の2大名門高校とされる慶南(キョンナム)高校(林副会長)と釜山高校(黄会長)の出身だ。サムスン電子と縁を結びながらも2人は反対の道を歩いた。口数が少ない方である林副会長はサムスン電子の平社員時代から注目されていた。サムスンはグループ内で見込みのある人材を対象に博士学位まで支援する「サムスン学術研修制」を導入したが、その最初の対象が林副会長だった。会社の支援を受け米国で博士学位を取った彼はサムスン電子に戻ると李潤雨(イ・ユンウ)元サムスン電子副会長、陳大済(チン・デジェ)元サムスン電子社長(元情報通信部長官)とともにサムスンの「半導体神話」を作った。
外向的な性格の黄会長は米国留学派で、「韓国の半導体事業を引っ張ってほしい」という李潤雨副会長の要請で三顧の礼でサムスン電子の理事に迎えられた。善意の競争の第1ラウンドは黄会長が機先を制した。彼は「1年でメモリー容量は2倍ずつ成長する」という「黄の法則」で一躍スターCEOに上った。黄会長が浮上し林副会長は停滞するようだったが新事業チームで非メモリー(システムLSI)事業に参入した。サムスン電子関係者は「林副会長が非メモリー事業を興さなかった現在のサムスンのスマートフォンやスマートテレビはなかっただろう」と評価する。林副会長は黄会長がサムスン電子技術総括社長を引き継ぐことになり退職した。以降“野人”として過ごしてきた林副会長は、2011年に崔会長がハイニックス半導体の買収を検討する際に通信と半導体事業間のシナジーについて助言してきた。財界関係者は、「林副会長がSKテレコムに新天地を設けることになり、半導体に続き通信分野で黄会長と2度目の真剣勝負を展開することになるだろう」と話している。
――いつ知ったか。
「3カ月前にSKから(副会長として来てほしいという)メッセージを受けずっと悩んできた」
――どのような過程を通じて内定したのか。
「詳しい過程はわからない。李健熙(イ・ゴンヒ)サムスン会長と崔泰源(チェ・テウォン)SK会長の2人が許してくれてできたことだろう」
――これまでどのように過ごしていたか。
「(サムスン電子社長を退いてから)4年間遊んでいた(笑)。いまは仕事をする意欲がよみがえった。これまでの経験を基にSKグループのIT事業の大きな方向をリードしていきたい」
SKグループは22日、副会長級のICT(情報通信技術)技術成長総括職を新設し、林亨圭元サムスン電子社長を情報通信小グループ部門を担当する副会長に迎えると明らかにした。
林副会長はサムスンの半導体神話の主役の1人だ。ソウル大学電子工学科とKAIST電子工学修士を終えた後1976年にサムスン電子に入社した。83年に米フロリダ大学で電子工学で博士学位を取った。2005年にサムスン総合技術院長を経て2007年から2年間サムスン電子新事業チーム長として次世代半導体開発を導いた。林副会長は来月1日にSKテレコム副会長として正式に就任し、SKテレコムとSKハイニックス、SKC&Cをまとめた情報通信小グループを担当する。SKはソウル・乙支路(ウルチロ)の本社ビル32階にある崔会長の執務室の向かい側に林副会長の執務室を用意するなど最高の礼節を守ることにした。SKはまた、グループ運営体系であるスペックス追求協議会にICT技術成長総括部門を別途の委員会として設置することにした。SK関係者は、「林副会長の招いたのは崔会長が直接指示したもの。SKグループを電子・通信中心のグローバル企業へと変貌させるためのもの」と背景を説明した。
財界ではサムスン出身である林副会長と今月27日に就任する黄昌圭(ファン・チャンギュ)KT新会長による通信業界の“第2ラウンド”に注目している。同年齢、同郷、大学同窓で結ばれた2人の長い関係のためだ。1953年生まれの2人は釜山(プサン)の2大名門高校とされる慶南(キョンナム)高校(林副会長)と釜山高校(黄会長)の出身だ。サムスン電子と縁を結びながらも2人は反対の道を歩いた。口数が少ない方である林副会長はサムスン電子の平社員時代から注目されていた。サムスンはグループ内で見込みのある人材を対象に博士学位まで支援する「サムスン学術研修制」を導入したが、その最初の対象が林副会長だった。会社の支援を受け米国で博士学位を取った彼はサムスン電子に戻ると李潤雨(イ・ユンウ)元サムスン電子副会長、陳大済(チン・デジェ)元サムスン電子社長(元情報通信部長官)とともにサムスンの「半導体神話」を作った。
外向的な性格の黄会長は米国留学派で、「韓国の半導体事業を引っ張ってほしい」という李潤雨副会長の要請で三顧の礼でサムスン電子の理事に迎えられた。善意の競争の第1ラウンドは黄会長が機先を制した。彼は「1年でメモリー容量は2倍ずつ成長する」という「黄の法則」で一躍スターCEOに上った。黄会長が浮上し林副会長は停滞するようだったが新事業チームで非メモリー(システムLSI)事業に参入した。サムスン電子関係者は「林副会長が非メモリー事業を興さなかった現在のサムスンのスマートフォンやスマートテレビはなかっただろう」と評価する。林副会長は黄会長がサムスン電子技術総括社長を引き継ぐことになり退職した。以降“野人”として過ごしてきた林副会長は、2011年に崔会長がハイニックス半導体の買収を検討する際に通信と半導体事業間のシナジーについて助言してきた。財界関係者は、「林副会長がSKテレコムに新天地を設けることになり、半導体に続き通信分野で黄会長と2度目の真剣勝負を展開することになるだろう」と話している。
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