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【コラム】国家は常に正しいといえるのか=韓国

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版
数日前、ニューヨークタイムズがおかしな社説を載せた。「政治家と教科書」という見出しで、韓国・日本の両首脳を同時に批判した。両首脳が自分の政治的な見解を教科書に反映するよう強要しているというのが社説の要旨だ。

ニューヨークタイムズの社説のレベルがその程度というのに驚くが、それでも考えてみる余地があるとみて取り上げた。砂利を指差しながら宝石の価値を論じることもできるものだ。

偶然に重なった両国の教科書検認定問題を同じ枠で取り上げたのは小さな失敗だ。しかし歴史歪曲と歴史論争を混同したのは致命的な誤りだ。


安倍晋三首相が恥ずかしい歴史を消したがっているのは、米国の少年トムでも分かることだ。教科書から慰安婦問題を削除し、日本軍の南京大虐殺を縮小しようとして、国際社会から後ろ指を差されているではないか。韓国はもちろん中国とほとんどの東アジア諸国が日本政府の態度を容認できないのはもちろんだ。日本国内でもこうした立場は少数極右勢力の主張にすぎない。

そのような指導者と朴槿恵(パク・クネ)大統領が同じ級で比較されたため、政府当局者が驚いたのだ。日本政府の行為が不当だと罵っていたが、「君たちも同じだ」と皮肉をいわれる格好になったということだ。

朴大統領としても悔しく思う点があるはずだ。ニューヨークタイムズが朴大統領が隠したがると書いた父の親日・独裁の部分は、日本の無茶な主張とは根本が違うからだ。親日経歴は韓国社会で依然として批判を受けている問題だ。独裁は隠せない事実だが、独裁という「過」だけを強調すれば、彼が成し遂げた「功」の判断が薄れるのも間違いない事実だ。

ニューヨークタイムズの誤りは、韓国社会で生じている進歩派史観と保守史観の葛藤を正しく理解できていないところから始まる。軍出身大統領の長期政権が及ぼした反作用だが、韓国社会にはしばらく右派権威主義を押し倒そうとする左派イデオロギーが流行のように広まった。内心はどうか知らないが、口では分配や人権を話してこそ「シック(chic)」に見えた。江南左派などという言葉もそのために生じた。

不幸なことに、歴史教科書までがこうした流行から自由でなかった。歴史を判断する目がまだ十分でない青少年が見る教科書は、何よりもバランスが取れた視点が必要だ。ところが精製されていない進歩派史観が入った教科書が流行病のようにあふれた。

問題の2つ目がここだ。右派政権に危機感が漂った。そうでなくとも進歩的になるしかない青少年ではないか。青少年を潜在的な反対勢力に育てることはできなかった。「右派教科書を救う」作戦が始まった。急造してみると、誤りだらけの教科書が出てきた。教育部の執拗な偏愛と肩入れが続いたが、「独立軍を討伐」「慰安婦がついて回る」と書かれた教科書で勉強しようという学校は多くなかった。

しかし本当に大きな問題はいま始まろうとしている。教育部の奮闘にもかかわらず成果が上がらなかったため、こっそりと国定教科書の話が出始めたのだ。長官が最初に言及し、与党議員が火をつける。その渦中に国会議員という人が「先進国のうち国定を採択した国はない」という指摘に対し、「北朝鮮もある」と答える寸劇も見られた。こうした姿が重なり、ニューヨークタイムズの論説委員の目には朴大統領の強圧に映ったのかもしれない。結論的にいうが、国定教科書に戻るのは絶対不可能なことだ。国定になれば、それこそニューヨークタイムズの社説が話す事態となる。政権が交代する度に好みに合わせて教科書に調味料が加えられるのが明らかではないか。

左右理念対立はさておき、なぜ国家の判断が常に正しいと自信を持てるのか分からない。国家権力という刃物は最も大きいだけ最も危険なものだ。米国憲法の父と呼ばれるジェームズ・マディソンが早くから警告したようにだ。「人類の文明が始まって以来、人民の自由が剥奪された事例は、突然で乱暴な強奪より、権力を握った者の漸進的かつ隠密な侵害によるものが多い」

マディソンは建国初期の葛藤の中で、連邦主義の原則を守るものの、各州の多様性を尊重する中道路線を貫徹した人物だ。彼の哲学が今日の私たちにも示唆するところが多い。国家がいくら多くの資源を持つとしても、多数の人の頭から出る多様性の力を越えるのは難しいことだ。水準に達しないものを淘汰するのも多様性の力だ。これはモンテスキューが言った。「国土はその肥沃さに比例して耕されるものではなく、自由に比例して耕される」。

イ・フンボン中央日報国際部長

(中央SUNDAY第358号)



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