20世紀の欧州最高の人文主義者の1人を挙げろと言うならば、私は迷わずシュテファン・ツヴァイク(1881~1942)を挙げる。オーストリアのユダヤ系出身の小説家であり、劇作家兼評論家であったツヴァイクは、ナチスの迫害を避けて遠い異国の土地ブラジルで自ら命を絶って人生を終えた。死ぬ直前、彼は自身の一生を回顧する備忘録を残した。彼の最後の著作となった『昨日の世界』だ。
ツヴァイクは備忘録の相当部分を第1次世界大戦に割いた。第1次大戦勃発前の欧州の状況と戦争の展開過程、そして後遺症について詳細な記録と証言を残した。徹底した自由主義者であり平和主義者であった彼にとって、第1次大戦はミステリーそのものであった。本の中で彼は「どうして欧州が1914年の戦争に及んだかを自問してみると、理性にかなうただ一つの理由、ただ一つの動機も探すことはできない」と書いた。理性的な目で見れば到底起きるはずがなく、起きてはいけない戦争が第1次大戦であったということだ。
彼は実際の状況として戦争はないと信じていた。彼が信奉する理性や合理、進歩の場において戦争は立つ場所がなかった。「戦争が起きるならば、私を街灯にぶら下げてもいい」と断言したほど彼は平和を盲信していた。膨張主義の欲のために各国がうなり合いながらも、最後の瞬間には互いに退くと確信していた。しかし現実は、彼の信頼を裏切った。人類史上例がない大規模で残酷な戦争はついに現実となり、900万人が命を失った。「私たち共通の理想主義、進歩に基礎を置いた楽観主義は、私たちに共通の危険を判断できなくさせた」と彼は嘆いた。まさかと思っていた彼が純真だったのだ。
第1次大戦の勃発100周年を迎えて、欧州学界や言論界では1914年に再び照明を当てる論文や記事が列をなす。甲午年の新年を迎えて韓国近代史の分岐点だった120年前の甲午年(1894年)を振り返る記事が韓国言論界で洪水になっているのと同じだ。この前、英国の時事週刊誌エコノミストは「第1次世界大戦:不安な復棋?(The First World War:Look back with angst)」という題名の記事を載せた。第1次大戦が勃発した1914年と気持ち悪いほど似ている情勢が今、展開しているという内容だ。
【コラム】第1次大戦時に酷似した、米国と中国の危険な状況(2)
ツヴァイクは備忘録の相当部分を第1次世界大戦に割いた。第1次大戦勃発前の欧州の状況と戦争の展開過程、そして後遺症について詳細な記録と証言を残した。徹底した自由主義者であり平和主義者であった彼にとって、第1次大戦はミステリーそのものであった。本の中で彼は「どうして欧州が1914年の戦争に及んだかを自問してみると、理性にかなうただ一つの理由、ただ一つの動機も探すことはできない」と書いた。理性的な目で見れば到底起きるはずがなく、起きてはいけない戦争が第1次大戦であったということだ。
彼は実際の状況として戦争はないと信じていた。彼が信奉する理性や合理、進歩の場において戦争は立つ場所がなかった。「戦争が起きるならば、私を街灯にぶら下げてもいい」と断言したほど彼は平和を盲信していた。膨張主義の欲のために各国がうなり合いながらも、最後の瞬間には互いに退くと確信していた。しかし現実は、彼の信頼を裏切った。人類史上例がない大規模で残酷な戦争はついに現実となり、900万人が命を失った。「私たち共通の理想主義、進歩に基礎を置いた楽観主義は、私たちに共通の危険を判断できなくさせた」と彼は嘆いた。まさかと思っていた彼が純真だったのだ。
第1次大戦の勃発100周年を迎えて、欧州学界や言論界では1914年に再び照明を当てる論文や記事が列をなす。甲午年の新年を迎えて韓国近代史の分岐点だった120年前の甲午年(1894年)を振り返る記事が韓国言論界で洪水になっているのと同じだ。この前、英国の時事週刊誌エコノミストは「第1次世界大戦:不安な復棋?(The First World War:Look back with angst)」という題名の記事を載せた。第1次大戦が勃発した1914年と気持ち悪いほど似ている情勢が今、展開しているという内容だ。
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