ドイツに派遣された韓国鉱夫は実際の作業に先立ち教育用炭鉱施設で実習を行った(1966年)。下の写真ではドイツ派遣看護師らと思われる鉱夫の家族が「韓国の夜」の行事で公演を行っている(1976年)。(写真=国家記録院・ドイツ鉱山記録保存所)
29日まで開かれる今回の展示会には、国家記録院が過去2年間にドイツ鉱山記録保存所やドイツ病院協会などから収集した貴重な資料150点が公開された。初公開された文書の中には63年4月に在ドイツ韓国大使館の労務官がドイツの主な炭鉱会社に送った手紙がある。57年から日本人鉱夫を採用していたドイツ炭鉱会社がこれ以上彼らを雇用できなくなった事実を知り、日本人と同じ条件で韓国人鉱夫を採用してほしいという内容だった。この手紙にドイツ炭鉱会社側が「同等の条件で雇用する」という返事を送り、鉱夫のドイツ行きが決まった。これに伴い63年12月21日、ソウル金浦(キンポ)空港から鉱夫123人が米国アンカレッジを経てドイツのデュッセルドルフに行く飛行機に乗った。ドイツ派遣鉱夫の第1陣だった。以後77年まで計7936人の鉱夫がドイツ炭鉱で仕事をした。看護師は66年から76年まで計1万1057人が派遣された。
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