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<張成沢氏失脚説>金正日の霊柩車7人のうち軍人は全員姿消す…党員2人だけ残る

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

1.金正恩・党中央軍事委員会副委員長、2.張成沢・国防委副委員長、3.金基南・党秘書、4.崔泰福・党秘書兼最高人民会議議長、5.李英浩・党中央軍事委副委員長兼軍総参謀長、6.金英春・人民武力部長、7.金正覚・軍総政治局第1副局長、8.禹東則・国家安全保衛部第1副部長(※霊柩当時の職責)。

2011年12月30日、最高司令官をはじめ権力の掌握に入った金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の権力強化作業は粛清と人事を通じて行われてきた。1960年代末-70年代初めの金正日(キム・ジョンイル)総書記の後継者確定過程と似ている。

韓国政府の当局者は「2011年12月に金正日が死亡した後、特別な理由なく北の人事が随時見られる」とし「金正日時代に核心地位を享受した人物はほとんど失脚した」と話した。

こうした動きは労働党より軍部で目立った。代表的な例が金正日の葬儀で霊柩車の左側を護衛した軍部の4人、李英鎬(リ・ヨンホ)軍総参謀長、金英春(キム・ヨンチュン)人民武力部長、金正覚(キム・ジョンガク)軍総政治局第1副局長、禹東則(ウ・ドンチュク)国家安全保衛部第1副部長(以上、当時の職責)だ。当時、護衛武士と呼ばれた4人の役割は、金正恩時代にも続くだろうという見方が多かった。しかし4人とも金正恩時代に入り、没落の道を歩んだ。


張成沢(チャン・ソンテク)の失脚説は、金正日の霊柩車の左側に立った4人に続き、右側でも粛清が続く信号弾という分析が出ている。当時、右側には金正恩、張成沢、金基南(キム・ギナム)党書記、崔泰福(チェ・テボク)最高人民会議議長が立っていた。金正恩を除いて金基南秘書と崔泰福議長だけが残っている。軍の人物はすべて姿を消し、党の人物だけ残っているのだ。しかし金書記と崔議長はそれぞれ83歳、82歳と高齢のため、2人も近く交代する可能性が高い。

金正恩が第2人者と呼ばれる張成沢にまで手をつけたのは、権力掌握に向けた最後の粛清と解釈される。情報当局によると、平壌では「若い金正恩より叔母の金敬姫(キム・ギョンヒ)が核心」という言葉が出たりもした。したがって夫の張成沢の失脚説は金敬姫にも致命傷を与えるしかないという分析だ。軍関係者は「最近、北の軍に異常動向があった」とし「対南挑発のためではなく、粛清による内部混乱のためだった」と話した。

金正恩はその間、粛清と世代交代を通じて権力を固め、自らのカラーを表してきた。就任後2年間、人民武力部長を3回(金英春→金正覚→金格植→張正男)も交代させた。金日成(キム・イルソン)主席時代46年間の5人、金正日時代17年間の3人に比べ、はるかに多い。

金正恩の執権2年間、人民武力部長の平均在任期間は6カ月にすぎない。韓国の合同参謀本部議長に該当する総参謀長も李英鎬-玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)-金格植(キム・ギョクシク)-李永吉(リ・ヨンギル)と短命が続いている。崔竜海(チェ・ヨンヘ)総政治局長を除いて、人民武力部長、総参謀長、保衛司令官など軍部の核心職責が随時入れ替わった。張成沢と霊柩車の左側4人はもちろん、2010年11月23日に延坪島(ヨンピョンド)砲撃戦を率いた代表的な強硬派の金格植も金正恩時代に入って退いた。

国防部の当局者は「崔竜海は金日成のパルチザン活動時代の同僚だった崔賢(チェ・ヒョン)の息子」とし「北でパルチザンは聖骨に選ばれるだけに、これを代表する人物である崔竜海を除いてすべて代わったとみればよい」と話した。合同参謀本部の関係者も「金正恩は執権2年間で一線軍団長も44%を入れ替えた」と伝えた。

政府当局者は「権力者は自分が執権する以前の権力者を否定することで正統性を確保しようとする傾向がある」とし「しかし父から権力を受け継いだ若い金正恩は父を否定しにくいだけに、頻繁な人事と世代交代を通じて自分への忠誠を誘導しようとしているようだ」と分析した。

金正恩は今年1月、1964年以前に出生した人物は労働党の課長級職位に新たに任命できないよう指示したという。このため、軍に続き、労働党と内閣にも世代交代があるとみられる。



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