「トライヤルウィーク」に参加した日本の垂水中学校の生徒たちが神戸韓国教育院の講堂に集まってチャングを習っていた。(写真=神戸韓国教育院)
◆地域社会が共に育てる子供たち
ここの生徒たちにとって挨拶は体にしみ込んだ習慣だった。授業が終わって先生がいない所でも同じだった。歩きながら笑って騒ぐ自由の中でも、保護者や大人に会えばそのまま通り過ぎることはなかった。行く途中に立ち止まって目を合わせて謙虚に頭を下げて挨拶をしていた。この学校の成豊一教頭は「子供たちにとっては勉強も重要だが大人を敬って礼を尽くすことがさらに重要だ」として「知らない人でも大人に会えば必ず挨拶をするよう教えている」と話した。
無条件に大人に挨拶をしろと促してそうなるものでもないはずだ。秘訣は学校内にあるのではなかった。神戸は日本でも子供たちを育てるのに地域社会の役割を強めている地域だ。実際に市内のあちこちで「地域社会が子供を育てる」という標語がついているほどだ。全地域が学校であるわけだ。
そのきっかけがあった。神戸は1995年にマグニチュード7.2の大地震が発生して6300人余りが亡くなる惨事を体験した。1997年には神戸に住む14歳の中学生が小学生を残酷に殺害して日本列島を衝撃に陥れた。震災後の復旧過程を体験し、衝撃的な事件を通じて、「人格」を重要視する声が高まった。それ以後、神戸の学校はひときわ学校外での活動が多くなった。地域の祭りや行事があればボランティア活動をし、少なくとも月に1回以上は電車の駅周辺の清掃に出かける。
<先進国の人格教育現場・神戸>地域住民みな先生、大人見れば「こんにちは」(2)
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