朴槿恵(パク・クネ)大統領が、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記との首脳会談の可能性について前向きな姿勢を示した。6泊8日の日程で西欧歴訪に出た朴大統領は3日(フランス時間)、初の訪問国フランスの日刊紙フィガロとのインタビューで「南北関係の発展や韓半島の平和のために必要ならばいつでも会えるという立場を持っている」と明らかにした。「北朝鮮の指導者・金正恩と首脳会談をする準備ができているか」という質問に朴大統領は「私たちは北朝鮮を助ける準備ができている」としてこのように話した。
もちろん朴大統領は「単純に会談のための会談とか、一時のイベント的な会談は止めようと思う」として「最も重要なのは真正性」という前提を付けた。だが今回の朴大統領の発言は、5月の米国ワシントンポストとのインタビューと比較して注目をあびた。当時、朴大統領は南北首脳会談に対する質問が出てくると「今、そんなふうにして何の効果があるだろうか。『手も合わせてこそ音がする』という韓国ことわざがある」と述べていた。南北間の緊張が高まった5月の状況では会合自体に否定的な認識を示していたが、今は「必要ならばいつでも会う」という側に気流が緩やかになったという評価だ。
最近、柳吉在(リュ・ギルジェ)統一部長官も1日、国政監査で韓国哨戒艦「天安」沈没以後、南北交易や北朝鮮に対する新規投資などを許さない5・24措置に関連し、「(解除を)検討している」と明らかにした。
ただし朴大統領は、北朝鮮の核・経済建設の並進路線については依然として断固たる立場を維持した。朴大統領は「金第1書記が核兵器をあきらめる準備ができていると思うか」という問いに「北朝鮮が核兵器やミサイル開発をあきらめずに、同時に経済開発を推進するのは不可能な幻想を追うもの」としながら「北朝鮮は、政権を維持するために住民の飢えや命を冷遇しており、このような形で継続するならば内外の難関に直面して自ら崩れることになると思う」とまで話した。
高麗(コリョ)大学北朝鮮学科の柳浩烈(ユ・ホヨル)教授は「6カ国協議再開の有無によって今後の首脳会談の可能性もなくはなく、南北関係において首脳会談は1つの突破口になりうる」として「朴大統領の発言は単純な柔軟ジェスチャーというよりは、門を常に開けておいているというメッセージを投げたもの」と分析した。
朴大統領はインタビューで「韓日関係」と「対野党関係」についての質問も受けた。
「韓日関係が緊張状態にあることについてどう思うか」という問いには韓日関係を、ドイツ・フランス関係に例えて答えた。
朴大統領は「未来志向的な関係を発展させていきたいが、一部の日本政治家たちが過去の問題について引き続き不適切な言動をしたことについては本当に残念だと思う」としながら「欧州の統合はドイツが(フランスなどに向けた)過去の過ちに前向きな態度を持っていたので可能だったが、日本も欧州連合の統合過程をよく参考にしてみる必要がある」と話した。
朴大統領は「野党圏から権威主義体制に回帰するのではないかという批判を受けている」という質問が出てくると「その主張は政治的攻勢にすぎない」と一蹴した。それから「大韓民国はアジアで民主主義を成功裏に達成した模範的な国家モデルとして国際社会で認められている。野党の主張が受け入れられなかったからといって、それが権威主義体制に戻るということだとは言えない」と強調した。
◆「シェークスピアの小説のような運命を持つ後継者」=フィガロは朴大統領のインタビューとともに「シェークスピアの小説のような運命を持つ後継者」という題名の記事を掲載した。この新聞は朴大統領が1974年フランスで留学中に母親の陸英修(ユク・ヨンス)女史が北朝鮮工作員の銃に撃たれ亡くなったと聞いて韓国に戻ったというフランスとの縁を紹介した。さらに朴大統領の父親も1979年に暗殺され、朴大統領自身も2006年の地方選挙応援遊説中にテロの対象になったと伝えた。
フィガロは、父の暗殺後永らく隠とん期間を経た朴大統領は、野党生活を経て「選挙の女王」になり、昨年末に若い頃を過ごした青瓦台(チョンワデ、大統領府)に民主的な方法で戻ることになったと書いた。
もちろん朴大統領は「単純に会談のための会談とか、一時のイベント的な会談は止めようと思う」として「最も重要なのは真正性」という前提を付けた。だが今回の朴大統領の発言は、5月の米国ワシントンポストとのインタビューと比較して注目をあびた。当時、朴大統領は南北首脳会談に対する質問が出てくると「今、そんなふうにして何の効果があるだろうか。『手も合わせてこそ音がする』という韓国ことわざがある」と述べていた。南北間の緊張が高まった5月の状況では会合自体に否定的な認識を示していたが、今は「必要ならばいつでも会う」という側に気流が緩やかになったという評価だ。
最近、柳吉在(リュ・ギルジェ)統一部長官も1日、国政監査で韓国哨戒艦「天安」沈没以後、南北交易や北朝鮮に対する新規投資などを許さない5・24措置に関連し、「(解除を)検討している」と明らかにした。
ただし朴大統領は、北朝鮮の核・経済建設の並進路線については依然として断固たる立場を維持した。朴大統領は「金第1書記が核兵器をあきらめる準備ができていると思うか」という問いに「北朝鮮が核兵器やミサイル開発をあきらめずに、同時に経済開発を推進するのは不可能な幻想を追うもの」としながら「北朝鮮は、政権を維持するために住民の飢えや命を冷遇しており、このような形で継続するならば内外の難関に直面して自ら崩れることになると思う」とまで話した。
高麗(コリョ)大学北朝鮮学科の柳浩烈(ユ・ホヨル)教授は「6カ国協議再開の有無によって今後の首脳会談の可能性もなくはなく、南北関係において首脳会談は1つの突破口になりうる」として「朴大統領の発言は単純な柔軟ジェスチャーというよりは、門を常に開けておいているというメッセージを投げたもの」と分析した。
朴大統領はインタビューで「韓日関係」と「対野党関係」についての質問も受けた。
「韓日関係が緊張状態にあることについてどう思うか」という問いには韓日関係を、ドイツ・フランス関係に例えて答えた。
朴大統領は「未来志向的な関係を発展させていきたいが、一部の日本政治家たちが過去の問題について引き続き不適切な言動をしたことについては本当に残念だと思う」としながら「欧州の統合はドイツが(フランスなどに向けた)過去の過ちに前向きな態度を持っていたので可能だったが、日本も欧州連合の統合過程をよく参考にしてみる必要がある」と話した。
朴大統領は「野党圏から権威主義体制に回帰するのではないかという批判を受けている」という質問が出てくると「その主張は政治的攻勢にすぎない」と一蹴した。それから「大韓民国はアジアで民主主義を成功裏に達成した模範的な国家モデルとして国際社会で認められている。野党の主張が受け入れられなかったからといって、それが権威主義体制に戻るということだとは言えない」と強調した。
◆「シェークスピアの小説のような運命を持つ後継者」=フィガロは朴大統領のインタビューとともに「シェークスピアの小説のような運命を持つ後継者」という題名の記事を掲載した。この新聞は朴大統領が1974年フランスで留学中に母親の陸英修(ユク・ヨンス)女史が北朝鮮工作員の銃に撃たれ亡くなったと聞いて韓国に戻ったというフランスとの縁を紹介した。さらに朴大統領の父親も1979年に暗殺され、朴大統領自身も2006年の地方選挙応援遊説中にテロの対象になったと伝えた。
フィガロは、父の暗殺後永らく隠とん期間を経た朴大統領は、野党生活を経て「選挙の女王」になり、昨年末に若い頃を過ごした青瓦台(チョンワデ、大統領府)に民主的な方法で戻ることになったと書いた。
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