こうした対決騒動では金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が先鋒に立った。延坪島(ヨンピョンド)砲撃当時の交戦現場だった長在島などを訪問し、険悪な対南発言をした。米国を狙ったミサイル攻撃を暗示する地図が掛けられた部屋で深夜作戦会議をする場面を入れた写真が労働新聞に大きく掲載されたりもした。若い新指導者が韓米の軍事的圧力に“度胸ある姿”で対抗する場面を誇示することが主な目的であるように見えた。
下半期に入ると、雰囲気が大きく変わった。北朝鮮の強硬な態度に政府も対抗した。結局、祖国平和統一委員会(祖平統)が前面に出て開城工業団地再開のための交渉を図った。南北会談が相当な陣痛の末に合意し、9月に開城工業団地が再稼働した。
【コラム】「韓半島信頼プロセス」を揺さぶる金正恩(2)
下半期に入ると、雰囲気が大きく変わった。北朝鮮の強硬な態度に政府も対抗した。結局、祖国平和統一委員会(祖平統)が前面に出て開城工業団地再開のための交渉を図った。南北会談が相当な陣痛の末に合意し、9月に開城工業団地が再稼働した。
【コラム】「韓半島信頼プロセス」を揺さぶる金正恩(2)
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