特に趙元会長は当時栄えていた国際都市の上海を見て感銘を受けた。趙元会長は90年代初め、ある寄稿で「上海を目にしてから、開拓の意志がある人は誰でも広い世界に挑戦できるということを悟った。一つの開眼であり、限りなく続く挑戦の出発点」と回顧した。
趙元会長は当時の感動を忘れず、77年に韓進海運を設立した。海に特別な思いを抱いていた趙元会長は、韓進海運に対する愛着もそれだけ強かった。韓進海運も趙元会長の期待に応えるかのように国内最大の海運企業に成長した。趙元会長が死去し、三男・故趙秀鎬(チョ・スホ)前会長とその夫人・崔恩瑛(チェ・ウンギョン)現会長が相次いで経営権を引き継いだ後も、韓進海運の地位は変わらなかった。
韓国海運会社の最大手「韓進海運」に訪れた危機、カギは…(2)
趙元会長は当時の感動を忘れず、77年に韓進海運を設立した。海に特別な思いを抱いていた趙元会長は、韓進海運に対する愛着もそれだけ強かった。韓進海運も趙元会長の期待に応えるかのように国内最大の海運企業に成長した。趙元会長が死去し、三男・故趙秀鎬(チョ・スホ)前会長とその夫人・崔恩瑛(チェ・ウンギョン)現会長が相次いで経営権を引き継いだ後も、韓進海運の地位は変わらなかった。
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