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【取材日記】越北者の柳美映と脱北者の趙明哲

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
柳美映(リュ・ミヨン、92)は北朝鮮最高人民会議の代議員であり、天道教青友党の代表格である中央委員長だ。大韓民国の外務部長官を務めた夫の崔徳新(チェ・ドクシン、1989年死亡)と共に米国に渡り、1986年4月、北朝鮮に入国した。陸軍士官学校を卒業し、共匪討伐の師団長まで務めた予備役陸軍中将である崔徳新による夫婦同伴の越北行為は衝撃だった。

そんな柳美映が2000年8月、北朝鮮側の離散家族の再会の団長の資格でソウルに来た。北朝鮮は統一戦線の戦術レベルで彼女を派遣する作戦だったが、韓国政府は拒否しなかった。むしろ格別な警護をし、韓国に残ったままの息子・娘や孫たちに会えるように配慮した。

13年ぶりに北朝鮮は正反対の状況を迎えた。脱北者出身の趙明哲(チョ・ミョンチョル)セヌリ党議員の開城(ケソン)工団の訪問問題だ。北朝鮮は、再稼動してから1カ月を超えた工業団地の実態を振り返るという韓国国会外交統一委員会所属議員らの訪問計画を24日、承認した。しかし、26日には「趙明哲は来てはいけない」という但し書きを付けた。


金日成総合大学を出た趙明哲は1994年7月、中国に渡ってからソウルに亡命した。父親は政務院(内閣)の建設部長を務めたチョ・チョルジュンで、何一つ不自由のないエリートだった。関係当局が「亡命の動機を探すのは難しい」とし、偽装亡命の可能性に注目するほどだった。韓国に定着してから最高の北朝鮮専門家となった。昨年、セヌリ党の比例代表4番を受けて国会に進出した。

このような背景を持つ趙明哲であるため北朝鮮にとって気まずい存在なのは事実だ。昨年8月、北朝鮮の祖国平和統一委員会は彼を処断の対象に入れた。脱北者として「韓国行きドリーム」をつかんだ彼の一挙手一投足が、北朝鮮住民の間 で噂になるのが負担なのだろう。

しかし、柳美映のソウル訪問を前例に照らしてみても北朝鮮訪問の道を防ぐのは心狭い仕打ちだ。越北作家の李ギヨン(元北朝鮮文学芸術総同盟委員長)の息子の李種革(イ・ジョンヒョク)はアジア太平洋平和委員会副委員長であり、金剛山観光など南北交流の前面に立った。もし韓国政府が柳美映や李種革らを越北者やその子孫だと拒否していたなら、葛藤と反目が増しただけだろう。主思派まではないとしても民族解放系(NL)運動圏出身だった河泰慶(ハ・テギョン)セヌリ党議員も27日、「気まずい人も包容することこそが統一への練習」とし、北朝鮮に対して「大人の対応」を要求した。

30日の外通委員による開城訪問までは時間が残っている。金正恩(キム・ジョンウン)1書記が公言してきた遺訓政治とは、父である金正日(キム・ジョンイル)総書記の意向に従うという意味だ。その言葉が有効なら、先代の時にあった柳美映のソウル訪問から教訓を見いださなければならない。「趙明哲の訪朝と無事帰還を担保する」という大乗的な決断を下さなければならない。

イ・ヨンジョン政治国際部門記者



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