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【コラム】言葉、人格、国格=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
「ハングルの優秀性を広く知らせなければいけないようだ」。ハングルの日の頃になるとよく聞く言葉だ。ハングルの優秀性は広く知らせるのが当然のことであり、「知らせなければいけないよう」ではない。「日本のような場合、独島(ドクト、日本名・竹島)を自国の領土だと主張するが、歴史的な根拠がない詭弁であるのは明らかなようだ」。ニュースキャスターの発言だ。韓日関係で「日本のような場合」はない。韓国の場合、日本の場合があるだけだ。詭弁であるのが明らかなら「…のようだ」と話してはいけない。「詭弁だ」と言い切るのが正しい表現だ。

よいようだ(よい)、おいしいようだ(おいしい)…。「カッタ(ようだ)」という言葉が手の施しようもなくあふれる半面、その相対語の「タルダ(違う)」は使うべきところでもあまり使われない。「人はみんなトゥルリダ(合わない)」。間違った言葉だ。「人はみんなタルダ(違う)」と言わなければいけない。タルダはトゥルリダとは違う。「同じ・違う」は、認識の基本範疇の一つである同一性の判断に使う言葉だ。これが誤れば認識体系に混乱が起こりうる。

尊敬語・謙譲語も入り交じっている。放送で「私たちの国」(わが国)、「私の夫人」(私の妻)などという知識人が少なくない。大統領を「タンシン(あなた)」と呼んだ政治家はそれが尊称だと言い張った。タンシンは3人称である時は尊称だが、2人称である時は普通の言葉だ。夫婦や同僚の間で気兼ねなく使える呼称だ。面前にいなくても聴者の2人称として使えば尊称でない。言い張っても語法が変わりはしない。


信仰心を抱いてタンシンを2人称の尊称として使う場合もある。神様をタンシンと呼びながら祈祷するキリスト教信者だ。祈祷の対象は2人称だ。父・母をあなたという2人称で呼ぶことはできないが、「天にいる父」はあまりにも愛しむ心のためかタンシンと呼ぶ。信仰が語法まで変えることができるかどうかは分からないが、教会に通う子どもがタンシンを2人称の尊称と間違うのではないかという心配は依然として残る。

尊称補助語幹もでたらめに付いている。「先生が早くいらっしゃれと」「時間がいらっしゃれば」「価格は2万ウォンにおなりです…」。価格が尊称で呼ばれるのは、物質万能風潮のためなのか。誰にでも使う血縁呼称も特別だ。夫はオッパ(兄さん)、初めて見る客もアボニム(お父様)、オモニム(お母様)だ。年配の方はすべてハラボジ(おじいさん)・ハルモニ(おばあさん)、中年ならみんなアジョシ(おじさん)・アジュモニ(おばさん)だ。世の中すべての人が3親等の血縁である親族社会がどうしてこれほど寂寞としているのか。



【コラム】言葉、人格、国格=韓国(2)

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