山崎豊子氏。
大阪の昆布会社の家に生まれた山崎氏は、1944年に毎日新聞大阪本社に入社して文学記者兼作家として活躍した。自身の生家をモデルにした作品『暖簾』(57年)で登壇した彼女は『花のれん』(58年)で日本2大文学賞の1つである直木賞を受賞すると記者を辞めて作家活動に専念し始めた。
国立大学医学部の教授の地位をめぐる権力闘争と医療事故裁判を告発した『白い巨塔』(65-69年)以降、神戸銀行(現三井住友銀行)の内幕を暴いた『華麗なる一族』(73年)、シベリアに抑留された日本の総合商社である伊藤忠商事の伝説的な人物、瀬島龍三の一生を描いた『不毛地帯』などは緻密な取材を基盤とした力作だった。91年に『大地の子』を出した後、引退を考えた彼女は「芸能人には引退があるが、芸術家にはない。書きながら棺桶に入るのが作家」という新潮社(日本の大手出版社)の斎藤十一顧問の言葉に刺激を受け、晩年まで執筆を続けた。週刊新潮に連載中だった『約束の海』が遺作となった。
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