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『大長今』に出てくる宮中の台所、100年ぶりに復元(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

12日、ソウル景福宮(キョンボックン)の焼厨房(ソジュバン、宮中の台所)復元現場でシン・ウンス大工長が大工らと作業過程を話しあっている。作業中の場所は外御厨子所の屋根で、現在、外焼厨房の屋根は60%、内焼厨房の屋根は80%ほど工事が進んでいる。生物房(センムルバン)は年末から工事を始める。

朝鮮時代の王は普通、一日に5食を食べた。12膳の朝食(午前10時)と夕食(午後5時)のほかに午前7時には白米のおかゆとおかずが置かれた食膳を、午後1時と夜9時には麺を主とした飯果床を食べた。

秋夕(チュソク、中秋)のような名節の宮中宴会では、新米で作られた松餅(ソンピョン)や里芋汁、さまざまなナムルなどが40皿以上出される大規模な祝宴が準備された。だがソウルにある朝鮮時代の5大宮廷には、宮女たちが王のための食事を作った厨房が一つも残っていない。戦乱と日帝強制占領期間を経ながらほとんどが焼失したり取り壊されたりした。

景福宮(キョンボックン)では今、日帝強制占領期間に無くなった王室の台所「焼厨房(ソジュバン)」を約100年ぶりによみがえらせる工事の真っ最中だ。第2次景福宮復元計画の1つで、合計137億ウォン(約12億6000万円)を投入して建物17棟を復元する。2011年9月に始まった工事は現在65%程度進んだ。来年秋になればドラマ『大長今(テチャングム、日本タイトル・宮廷女官チャングムの誓い)』の舞台になった宮廷の厨房が姿を現す予定だ。


◆王と王妃のための専用厨房=ドラマのおかげで「水剌間(スラカン、水刺=供御・王の食事)」という単語がよく知られるようになったが、過去の文献などでは「焼厨房」という名称が主に使われた。「厨房」という単語に火をたくという意の「焼」を付けたのだ。景福宮には食事を作る焼厨房が色々な場所にあったが、康寧殿(カンニョンジョン、王の寝殿)と交泰殿(キョテジョン、王妃の寝殿)近くにある焼厨房が最も規模が大きかった。王と王妃のための食事はもちろん進宴(チンヨン、慶事に宮中で催した宴)・進饌(チンチャン、進宴よりも簡素な宴)などの宮廷の祝祭のための食事が作られた場所だ。

現在復元中の焼厨房は、壬辰倭乱(文禄の役)の時に火災で消失して高宗(コジョン)年間の1865~1868年に景福宮再建の際に再び建てられた。以後、日帝が1915年の「朝鮮物産共進会」開催のために取り壊したと推定される。約3300平方メートル(1000坪)に及ぶ焼厨房は、工事前は芝や木で覆われていて、標識木だけが残っている状態だった。国立文化財研究所が2004~2005年に実施した発掘調査で地下排水路や煙突の跡、井戸の場所などが確認された。



『大長今』に出てくる宮中の台所、100年ぶりに復元(2)

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