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外信記者のカメラにおさめた韓国戦争の未公開写真、公開

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

仁川(インチョン)上陸作戦成功…1950年9月15日、仁川上陸作戦が成功すると19日から米海兵師団がソウル方向に進撃した。20日には幸州(ヘジュ)船着場からソウル奪還のために漢江(ハンガン) 渡河作戦を実施した。写真は23日に国連軍が京畿道金浦(キョンギド・キンポ)付近で人民軍捕虜の上着を脱いで移送する場面だ。(写真=Stanley Tretick)

負傷した妻を背負って走る夫…1951年2月17日、韓国戦争の渦中に負傷した妻を背負って夫がどこかに走って行っている。夫の背中をぎゅっと握みながら苦しむ妻の表情と、ほおに血をつけたまま急いで走っていく夫の姿から悲惨な戦争の素顔が見える。写真には誰がどの地域で撮ったという記録は残っていない。

国連職員がインド式葬儀…1950年8月16日、国連委員会メンバーであるインド人ナヤールの火葬を米軍と国軍が見守っている。彼の遺体を薪の山上にのせてインド式で葬儀を行った。ナヤールはジープに乗っていて地雷を踏んで亡くなった。今でもインドのガンジス川では薪の上に遺体をのせて焼く方式の葬儀を行っている。(写真=エド・ホフマン)

タンク前の野戦教会…1950年8月25日、洛東江(ナクトンガン)戦闘に参戦した国連軍兵士たちがタンクの前でひざまずいて祈っている。前にはカトリック軍宗のフルデル神父が兵士たちに向かってメッセージを伝えている。生と死の岐路でひざまずいた兵士たちは神に何を祈ったのだろうか。タンク左側に設置された野戦テントが、ここが戦場であることを物語っている。戦争の渦中には、ひざまずいて祈りを捧げることができる所ならばそこが教会であった。タンク後方には干上がって底が見える川が見える。(写真=リチャード・ファーガソン)

外信従軍記者が撮った韓国戦争の未公開写真が公開された。全羅北道完州郡(チョルラブクド・ワンジュグン)にある完州本博物館(パク・テホン館長)は、20年間にわたって収集した韓国戦争の写真の一部を中央日報紙に公開した。写真は全て韓国戦争当時に引火し、裏面には日付と写真の中の具体的な状況が英文で記録されている。

建国(コングク)大学のシン・ボクリョン客員教授(政治外交学)は「これまで公開されなかった韓国戦争の写真だ。国連軍が野戦テントの設置された戦場のタンク前でひざまずいて祈りを捧げている場面と、負傷した妻を背負って走る夫の写真は見る人の胸をじんとさせる」と話した。「特にタンク前のミサの写真は、1963年の第2次バチカン公会議前の写真であり教会史的にも重要な意味がある。第2次バチカン公会議を前後して天主教のミサ方式が変わったからだ。韓国戦争時はミサがラテン語で行われた」と付け加えた。彼はまた「ジープに乗っていて地雷の爆発で亡くなったインド人にインド式の化粧をしている場面も非常に珍しい写真」としながら「そのほか有名作家のStanley Tretickの写真も目につく。捕虜が上着を脱いで手を挙げたまま、あぜ道に沿って歩く彼の写真は構図が卓越している」と強調した。

Stanley Tretick(1921~99)は、米国の故ジョン・F・ケネディ大統領がホワイトハウス執務室で机の下に入った幼い息子と遊ぶ有名な写真を残した。暗殺される1カ月前に撮影されたこの写真は、ケネディ大統領を追悼した米国人の胸をさらに深くしみこませた。TretickはUPI従軍記者として韓国戦争に行った。


パク・テホン館長は「20年間、韓国戦争関連の写真を集めている。今回公開した写真は従軍記者がジャーナリストの視点で撮影した作品であり、戦争の切迫した瞬間の切り口が優れている」と話した。



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