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「韓国戦争は共産主義勢力と戦って勝った最初の戦争」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

米ニュージャージー州サドルブルックの住宅街に建てられた韓国戦争参戦碑の前で写真撮影をする参戦勇士パターソン・ジョージ ・ブルスギズさん(左の写真)。米ニューヨーク州の自宅の地下に設置した韓国戦争博物館で、古い太極旗を見せる参戦勇士サルバトレ・スカルラトさん。

「今でも激しい呼吸が耳元に残っている」。米ニューヨーク州の自宅の地下に作った“ミニ戦争博物館”で、サルバトレ・スカルラトさん(80)は錆ついた短剣を見せた。1952年9月、現在の臨津閣北側の「ジェームスタウン」戦線で、スカルラトさんは16歳ほどの中国共産軍の少年兵に出くわした。短剣を振り回しながら襲ってくる少年兵に向かってスカルラトさんは思わずヘルメットを投げた。少年兵がヘルメットをよける間、スカルラトさん短剣を奪い、これを胸深くに刺した。そして無意識的に懐に入れたその短剣が運命のようにスカルラトさんについて米国へ渡ってきた。

当時19歳の青年だったスカルラトさんは「ドラを打ち、ラッパと笛を吹きながら攻撃してくる中国共産軍と戦いながら、映画で見たものとは全く違う戦場に来たということを実感した」と話した。スカルラトさんも中国共産軍が投げた手りゅう弾で脚と腕、そして首を負傷して帰国した。しかし温かい歓待はなかった。

◆米議会、戦争ではなく紛争と規定


米国人にとって韓国はあまりにも遠く、知らないところだった。スカルラトさんは「当時の韓国戦争は米軍ではなく国連軍の戦争と認識された」と語った。

50年6月25日に北朝鮮の南侵について報告を受けたトルーマン大統領は、米議会ではなく国連安全保障理事会に向かった。当時拒否権を握っていたソ連は安保理をボイコットしていた。台湾の代わりに中国を常任理事国に含めるためだった。そのスキにトルーマン大統領は6月25日、北朝鮮の南侵を糾弾する安保理決議案82号、2日後には韓国に対する国際社会の軍事支援を促す決議案83号を通過させた。これを名分にトルーマン大統領は米議会の裁可なく、日本に駐留するマッカサー元帥に米海・空軍を韓半島に直ちに出動させるよう命令した。

7月7日に国連軍派兵を決めた決議案84号が通過すると、米議会も財政支援を承認したが、トルーマン大統領の「う回戦略」はその後、韓国戦争参戦勇士の足かせとなった。米議会が参戦を決議したベトナム戦争とは違い、韓国戦争は米国で「戦争(war)」ではなく「紛争(conflict)」に規定されたからだ。60-70年代に米国に広がった反戦世論も重なり、韓国戦争は「忘れられた戦争(forgotten war)」となった。

スカルラトさんは「戦った少年兵の顔が思い浮かび、外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだが、これを訴えるところもなかった」と吐露した。無意識の中で妻に危害を加えないか心配になり、寝床も別にするほどだったという。

しかし90年代に韓国が経済発展と民主主義を同時に実現させ、韓国戦争に対する見方も変わり始めた。韓国政府の外交的努力と韓国戦争参戦勇士の請願を受け、ついに2000年、米議会が韓国戦争参戦を公式宣言した。スカルラトさんは「韓国政府から韓国戦争(Korean War)と表記された従軍記章を受けたことで胸のつかえが下り、涙が出てきた」とし、自分の博物館に展示していた記章を誇らしげに見せた。



「韓国戦争は共産主義勢力と戦って勝った最初の戦争」(2)

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