まず看板が変わった。2000年6月の初めての南北首脳会談後7年間21回にわたり継続してきた閣僚級会談は歴史の中に消えた。代わりに「当局会談」という名前の対話テーブルが用意された。実際には閣僚級会談を当局会談にしようというのは北朝鮮が先に提案した。実務接触で韓国側代表を務めた統一部の千海成(チョン・ヘソン)統一政策室長は、「北朝鮮側は特に背景を説明しなかったが、われわれも変化した環境と新しい時代という側面から妥当と考えたので名称変更に合意した」と話した。会談の名称を変えるのに南北が意気投合したという話だ。千代表は、「今回が事実上第22回閣僚級会談ではないか」という記者の質問に、「別個の南北当局会談になるだろう」と強調した。
韓国側が会談に来る北朝鮮側団長の格について取り上げ、金養建(キム・ヤンゴン)労働党統一戦線部長のソウル訪問を促す異例な事態となった。10日午後には青瓦台(チョンワデ、大統領府)が改めてこれを強調した。北朝鮮が意図的に閣僚級より格が落ちる人物を首席代表に任命してもそのまま受け入れてきた誤った慣行を正すという意味だ。通常3~4日だった会談期間も2日に減らした。不必要な市内観光などを減らし議論に集中する実務的な会談をするという説明だ。
スタイル変わる南北会談「以前の記憶は忘れるように」(2)
韓国側が会談に来る北朝鮮側団長の格について取り上げ、金養建(キム・ヤンゴン)労働党統一戦線部長のソウル訪問を促す異例な事態となった。10日午後には青瓦台(チョンワデ、大統領府)が改めてこれを強調した。北朝鮮が意図的に閣僚級より格が落ちる人物を首席代表に任命してもそのまま受け入れてきた誤った慣行を正すという意味だ。通常3~4日だった会談期間も2日に減らした。不必要な市内観光などを減らし議論に集中する実務的な会談をするという説明だ。
スタイル変わる南北会談「以前の記憶は忘れるように」(2)
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