米国国立公文書記録管理局(NARA)の文書箱の中には、韓国人「性奴隷」(「慰安婦」という表記は日本軍の立場で使われた)20人に対する捕虜尋問記録がある。金儲けができるという話を聞いて連れていかれ、強制的に性奴隷になった事実が記述されている。NARAに所蔵された性奴隷関連の写真も彼女たちの苦痛を証言している。日本軍によって虐殺された韓国人女性の最期と推定される写真もある。最近、日本維新の会共同代表で大阪市長の橋下徹が「日本軍慰安婦」が強制動員された事実を否認し、戦時中の慰安婦の必要性を肯定する妄言まで吐く状況であるだけに、注目される。
植民地人として生きるということは、政治・経済・社会・文化、すべての領域で隷属した生活をすることを意味した。1936年8月9日、ベルリンオリンピック(五輪)マラソンの金メダリスト孫基禎(ソン・ギジョン)と銅メダリストの南昇竜(ナム・スンリョン)は、銀メダリストの英国のハーパーのように勝利を満喫できなかった。表彰台に立ち、主催国ドイツのヒットラー総統から月桂冠を受ける時も、世界の耳目が集中した中で表彰台から下りる時も、孫基禎と南昇竜の表情は険しかった。
日章旗を胸に付けて日本の国家代表として世界チャンピオンになった2人。当時、日本の放送は彼らの勝利を「祖国日本」の栄光とした。朝鮮中央日報と東亜日報は日章旗を消した写真を掲載した。日章旗抹消事件に対する総督府の制裁措置は、植民地時代の祖国の意味をめぐる戦いだった。
日帝は韓国を永遠に日本の植民地にしようとした。日本の法律と制度を韓国に形式的に導入し、韓国人を日本帝国の忠実な臣民とする教育を実施した。ソウル都心には洋式建物が建設され、“モダンボーイ”“モダンガール”など新しい人間群像が表れたりもした。
◆ベルリン五輪でメダル獲得も険しい表情
しかし帝国主義時代の植民支配の本質は基本的に抑圧と差別だった。日帝の植民地政策は帝国主義の英国・フランスと比べてもはるかに過酷だった。日帝は韓国人の参政権を認めず、言論・出版・集会・結社の自由を制約したほか、名前を日本式に変える創氏改名までも強要し、韓国人としての民族アイデンティティーを消滅させようとした。強制併合と植民統治を正当化するため、韓国の歴史と文化は発展せず停滞していたという植民史観まで加工した。
日帝の支配から自由になることを望む韓国人の抵抗はさまざまな形で展開された。新学問を学び、産業を振興させ、実力を高めてこそ独立が可能だという立場から、銃刀を持って武装抗争をするべきだという立場まで、さまざまな方式や思想が共存した。
◆尹奉吉・李奉昌、中国・日本で爆弾投げる
NARAには独立活動家、尹奉吉(ユン・ボンギル)と李奉昌(イ・ボンチャン)の事件関連の写真も所蔵されている。1932年1月8日に東京で天皇裕仁の馬車に向かって手榴弾を投げたが失敗した李奉昌、1932年4月29日に天皇誕生日祝賀式典会場だった中国上海・虹口公園の壇上に向かって爆弾を投げた尹奉吉。2人の“抵抗暴力”は、日帝の構造的暴力から抜け出そうとする植民地人の熱望を代弁した。
◆性奴隷か慰安婦か=「慰安婦」という言葉「戦争に疲れた兵士を慰める役割をする女性」を意味し、「従軍慰安婦」という言葉と混用されてきた。女性が戦場の軍人に付いて回りながら「慰安」したという意味になる。性的虐待の強制性と人権じゅうりんの犯罪性を隠した用語だ。
2000年に日本・東京で開かれた女性国際戦犯法廷では、日本軍の戦争犯罪に対する責任を問うために「日本軍性奴隷(Military Sexual Slavery by Japan)」を公式用語として採択し、その後は性奴隷という名称が使われている。
※写真は国史編纂委員会電子資料館(http://archive.history.go.kr)で見ることができます。
◆NARA=米国国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration)の略称。米国の歴史に関する記録を保存・提供する独立機関。19世紀末以降の韓国関連の写真およそ10万枚を所蔵している。国史編纂委員会は01年から国外所在の韓国史の資料を収集してきた。今回のシリーズに載せられる解放後の写真は、ほとんどが在韓米軍に配属された米陸軍通信隊(Signal Corps)写真部隊(Photo Detachment)が撮影した。
植民地人として生きるということは、政治・経済・社会・文化、すべての領域で隷属した生活をすることを意味した。1936年8月9日、ベルリンオリンピック(五輪)マラソンの金メダリスト孫基禎(ソン・ギジョン)と銅メダリストの南昇竜(ナム・スンリョン)は、銀メダリストの英国のハーパーのように勝利を満喫できなかった。表彰台に立ち、主催国ドイツのヒットラー総統から月桂冠を受ける時も、世界の耳目が集中した中で表彰台から下りる時も、孫基禎と南昇竜の表情は険しかった。
日章旗を胸に付けて日本の国家代表として世界チャンピオンになった2人。当時、日本の放送は彼らの勝利を「祖国日本」の栄光とした。朝鮮中央日報と東亜日報は日章旗を消した写真を掲載した。日章旗抹消事件に対する総督府の制裁措置は、植民地時代の祖国の意味をめぐる戦いだった。
日帝は韓国を永遠に日本の植民地にしようとした。日本の法律と制度を韓国に形式的に導入し、韓国人を日本帝国の忠実な臣民とする教育を実施した。ソウル都心には洋式建物が建設され、“モダンボーイ”“モダンガール”など新しい人間群像が表れたりもした。
◆ベルリン五輪でメダル獲得も険しい表情
しかし帝国主義時代の植民支配の本質は基本的に抑圧と差別だった。日帝の植民地政策は帝国主義の英国・フランスと比べてもはるかに過酷だった。日帝は韓国人の参政権を認めず、言論・出版・集会・結社の自由を制約したほか、名前を日本式に変える創氏改名までも強要し、韓国人としての民族アイデンティティーを消滅させようとした。強制併合と植民統治を正当化するため、韓国の歴史と文化は発展せず停滞していたという植民史観まで加工した。
日帝の支配から自由になることを望む韓国人の抵抗はさまざまな形で展開された。新学問を学び、産業を振興させ、実力を高めてこそ独立が可能だという立場から、銃刀を持って武装抗争をするべきだという立場まで、さまざまな方式や思想が共存した。
◆尹奉吉・李奉昌、中国・日本で爆弾投げる
NARAには独立活動家、尹奉吉(ユン・ボンギル)と李奉昌(イ・ボンチャン)の事件関連の写真も所蔵されている。1932年1月8日に東京で天皇裕仁の馬車に向かって手榴弾を投げたが失敗した李奉昌、1932年4月29日に天皇誕生日祝賀式典会場だった中国上海・虹口公園の壇上に向かって爆弾を投げた尹奉吉。2人の“抵抗暴力”は、日帝の構造的暴力から抜け出そうとする植民地人の熱望を代弁した。
◆性奴隷か慰安婦か=「慰安婦」という言葉「戦争に疲れた兵士を慰める役割をする女性」を意味し、「従軍慰安婦」という言葉と混用されてきた。女性が戦場の軍人に付いて回りながら「慰安」したという意味になる。性的虐待の強制性と人権じゅうりんの犯罪性を隠した用語だ。
2000年に日本・東京で開かれた女性国際戦犯法廷では、日本軍の戦争犯罪に対する責任を問うために「日本軍性奴隷(Military Sexual Slavery by Japan)」を公式用語として採択し、その後は性奴隷という名称が使われている。
※写真は国史編纂委員会電子資料館(http://archive.history.go.kr)で見ることができます。
◆NARA=米国国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration)の略称。米国の歴史に関する記録を保存・提供する独立機関。19世紀末以降の韓国関連の写真およそ10万枚を所蔵している。国史編纂委員会は01年から国外所在の韓国史の資料を収集してきた。今回のシリーズに載せられる解放後の写真は、ほとんどが在韓米軍に配属された米陸軍通信隊(Signal Corps)写真部隊(Photo Detachment)が撮影した。
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