北朝鮮の核実験後対立を続けてきた日本と北朝鮮が急激に接近している。安倍晋三首相のメンターの飯島勲特命担当内閣官房参与が17日から4日間の北朝鮮訪問を終え北京経由で帰国した。
安倍首相の特使として14日に平壌(ピョンヤン)に入った彼は、16日に北朝鮮の名目上のナンバー2である金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長に会った。日朝対話の実務責任者である宋日昊(ソン・イルホ)日朝国交正常化交渉担当大使が同席した。双方は日本人拉致問題と植民地賠償を含む国交正常化問題と関連し意見を交換した。これに先立ち飯島氏は15日に北朝鮮の外交責任者である金英逸(キム・ヨンイル)労働党国際秘書と面談した。北朝鮮当局は飯島氏一行に平壌民俗公園と人民野外スケートリンクを視察させるなど勅使待遇をした。
2004年の小泉純一郎首相の2度目の訪朝を最後に途絶えた日朝間の高位級対話が9年ぶりに電撃的に再開されたのだ。韓国と米国、中国には久しぶりの「ジャパンサプライズ」だ。特に対北朝鮮圧迫措置で先頭に立ってきた保守派の安倍首相が突然対話に出たことに韓米両国は困惑の表情だ。
飯島特使は小泉元首相の旧知の策士だ。小泉氏が国会議員に初当選した時から秘書を務める飯島氏は2002年と2004年の小泉氏の2度の訪朝に同行し、日朝首脳会談の全貌を見守った。彼は内外のメディアから“日本のカール・ローブ”というニックネームを得るほど小泉の右腕であり、政務・広報専門家だった。飯島氏は小泉氏の訪朝直前に日刊紙・放送局の記者だけを同行させてきた首相の海外歴訪の慣行を破り、週刊誌・月刊誌・インターネット記者も同行させるべきと主張しこれを貫徹した。内閣の実力者として政治的力量を誇示したのだ。2006年に小泉氏の首相退任とともに退いた飯島氏は日朝首脳会談の秘話を2冊の本にまとめるほど対北朝鮮外交に精力を注いできた。
◇米国、日本を対北朝鮮窓口で活用するか
安倍首相の飯島特使派遣は何より7月の参議院選挙を狙ったものと解釈される。円安に舵を切り経済回復で実績を上げた安倍首相は、「日朝対話再開」という外交業績を追加し選挙での圧勝を狙っている。安倍首相は小泉首相の2002年の訪朝に同行した。当時金正日(キム・ジョンイル)総書記が小泉首相に「北に拉致された日本人のうち8人は死亡し5人が生存している」と告白すると、安倍首相は「北朝鮮と国交正常化してはならない」と主張し貫徹させた対北朝鮮強硬派だった。
そんな安倍首相が、北朝鮮が3度目の核実験をしてから3カ月も立たずに北朝鮮との対話に出たのは矛盾とも言える。だが、拉致問題が解決の兆しを探せないまま歳月が流れ、この問題に関する強硬論は沈んでいった。拉致被害者家族会でも「いまは北朝鮮と対話するのが問題解決の近道」と主張する穏健派が増加している。したがって安倍首相は、「拉致問題に関する限り私以上の強硬派はいない。私を信じれば北朝鮮と対話して10年の難題を完結したい」と世論を説得する環境を確保している。
安倍首相の北朝鮮をめぐる歩みで最大の障害は米国だ。韓日米の対北朝鮮協調戦線から離脱する格好になるためだ。米国のデービース北朝鮮担当特別代表は15日にソウルで飯島氏の訪朝に関し、「初めて聞く話だ。日本に行ったら明確にこの問題を議論するだろう」と話した。日本側に不満を示した言葉と解釈された。だが、韓国政府関係者は、「日本が本当に米国に事前通知していなかったのかも疑問で、米国が本当に不快なのかも疑問だ」と話した。日本が北朝鮮の核問題で一線さえ越えなければ日本を対北朝鮮窓口として活用する方策を米国側が考慮することもできるという話だ。
(中央SUNDAY第323号)
日朝国交正常化交渉開始時には参議院選挙にメガトン級の好材料(2)
安倍首相の特使として14日に平壌(ピョンヤン)に入った彼は、16日に北朝鮮の名目上のナンバー2である金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長に会った。日朝対話の実務責任者である宋日昊(ソン・イルホ)日朝国交正常化交渉担当大使が同席した。双方は日本人拉致問題と植民地賠償を含む国交正常化問題と関連し意見を交換した。これに先立ち飯島氏は15日に北朝鮮の外交責任者である金英逸(キム・ヨンイル)労働党国際秘書と面談した。北朝鮮当局は飯島氏一行に平壌民俗公園と人民野外スケートリンクを視察させるなど勅使待遇をした。
2004年の小泉純一郎首相の2度目の訪朝を最後に途絶えた日朝間の高位級対話が9年ぶりに電撃的に再開されたのだ。韓国と米国、中国には久しぶりの「ジャパンサプライズ」だ。特に対北朝鮮圧迫措置で先頭に立ってきた保守派の安倍首相が突然対話に出たことに韓米両国は困惑の表情だ。
飯島特使は小泉元首相の旧知の策士だ。小泉氏が国会議員に初当選した時から秘書を務める飯島氏は2002年と2004年の小泉氏の2度の訪朝に同行し、日朝首脳会談の全貌を見守った。彼は内外のメディアから“日本のカール・ローブ”というニックネームを得るほど小泉の右腕であり、政務・広報専門家だった。飯島氏は小泉氏の訪朝直前に日刊紙・放送局の記者だけを同行させてきた首相の海外歴訪の慣行を破り、週刊誌・月刊誌・インターネット記者も同行させるべきと主張しこれを貫徹した。内閣の実力者として政治的力量を誇示したのだ。2006年に小泉氏の首相退任とともに退いた飯島氏は日朝首脳会談の秘話を2冊の本にまとめるほど対北朝鮮外交に精力を注いできた。
◇米国、日本を対北朝鮮窓口で活用するか
安倍首相の飯島特使派遣は何より7月の参議院選挙を狙ったものと解釈される。円安に舵を切り経済回復で実績を上げた安倍首相は、「日朝対話再開」という外交業績を追加し選挙での圧勝を狙っている。安倍首相は小泉首相の2002年の訪朝に同行した。当時金正日(キム・ジョンイル)総書記が小泉首相に「北に拉致された日本人のうち8人は死亡し5人が生存している」と告白すると、安倍首相は「北朝鮮と国交正常化してはならない」と主張し貫徹させた対北朝鮮強硬派だった。
そんな安倍首相が、北朝鮮が3度目の核実験をしてから3カ月も立たずに北朝鮮との対話に出たのは矛盾とも言える。だが、拉致問題が解決の兆しを探せないまま歳月が流れ、この問題に関する強硬論は沈んでいった。拉致被害者家族会でも「いまは北朝鮮と対話するのが問題解決の近道」と主張する穏健派が増加している。したがって安倍首相は、「拉致問題に関する限り私以上の強硬派はいない。私を信じれば北朝鮮と対話して10年の難題を完結したい」と世論を説得する環境を確保している。
安倍首相の北朝鮮をめぐる歩みで最大の障害は米国だ。韓日米の対北朝鮮協調戦線から離脱する格好になるためだ。米国のデービース北朝鮮担当特別代表は15日にソウルで飯島氏の訪朝に関し、「初めて聞く話だ。日本に行ったら明確にこの問題を議論するだろう」と話した。日本側に不満を示した言葉と解釈された。だが、韓国政府関係者は、「日本が本当に米国に事前通知していなかったのかも疑問で、米国が本当に不快なのかも疑問だ」と話した。日本が北朝鮮の核問題で一線さえ越えなければ日本を対北朝鮮窓口として活用する方策を米国側が考慮することもできるという話だ。
(中央SUNDAY第323号)
日朝国交正常化交渉開始時には参議院選挙にメガトン級の好材料(2)
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