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<野球>ヤンキースも欲を見せる李大浩(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

李大浩(イ・デホ、31、オリックス)。

米メジャーリーグの話が出ると、李大浩(イ・デホ、31、オリックス)は軽く笑った。続いて明るい声が電話機から聞こえた。「私が秋信守(チュ・シンス、31、シンシナティ)や柳賢振(リュ・ヒョンジン、26、LAドジャース)と同じ舞台に立つ? 底からスタートした私がメジャーリーグに進出する日はくるだろうか」。

◆白仁天が酷評 「選手でもない」

李大浩のメジャーリーグ進出の可能性が高まっている。東京スポーツなど日本メディアは「ニューヨーク・ヤンキース のスカウトが4月26日のオリックス戦を視察した。李大浩は今年でオリックスとの2年契約が終わる。オリックス球団は李大浩を(米国に)取られないように努力中」と伝えた。


スカウトの間ではメジャーの数球団が李大浩獲得に関心を見せているという噂が広まっている。李大浩の人生にはエレベーターがなかった。土台を固めて階段を1段ずつ上ってきた。幼い頃から自分の力で戦って乗り越えてきた。

最初の相手は貧困だった。3歳で父親と死別した李大浩は、2歳年上の兄チャホと一緒に、市場で味噌を売る祖母に育てられた。「祖母は市場で残ったキムチの芯を入れておかゆを炊いた。一日一日が大変で、野球部の会費を出すことは考えられなかった」。

李大浩は2001年に投手としてロッテに入団したが、すぐに肩を痛めた。打者に転向したが、当時の白仁天(ペク・インチョン)ロッテ監督は李大浩を「選手でもない」と酷評した。身長(193センチ)は大きいが、体重があまりにも多かったからだ。李大浩は無理に練習をし、左ひざ軟骨損傷という重傷を負った。試練の連続だった。

太っているが、李大浩はうまく打った。06年に韓国プロ野球史上2人目(1984年の李万洙以来)の打撃3冠王(本塁打・打率・打点)となった。2010年には盗塁を除いた攻撃の全部門の打撃7冠王を達成した。プロ野球初の記録だった。

李大浩は2012年、2年総額7億円(当時約105億ウォン)の条件でオリックスに入団した。貧困で鍛えられた李大浩は富と名誉をつかんでも緩まなかった。日本での初年、韓国プロ野球選手では初めて個人タイトル(パリーグ打点王、91打点)を獲得し、本塁打は2位タイ(24本)となった。天下の李承ヨプ(イ・スンヨプ、37、サムスン)も日本での初年は試行錯誤を重ねたが、李大浩は難なく結果を出した。李大浩はパワーだけでなく打撃の正確性も優れているため、制球力がよい日本の投手にも対応できた。



<野球>ヤンキースも欲を見せる李大浩(2)

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