主観的な判断ではあるが、このままいけばKBS(韓国放送公社)第2テレビ『職場の神』は、6年前のMBC(文化放送)の『白い巨塔』に続き、日本版原作を凌駕するリメーク・ドラマと評価されるのではないかと思う。スタート前は、日本ドラマ特有の誇張された設定を、韓国式に説得力があるよう解きほぐすことができるか半信半疑だった。だが6回まで放映された現在、原作の魅力を生かしながらも新鮮な感じを与えることに成功している。何より“非正規職問題”という最近の韓国社会における重要な話題を、グッドタイミングで取り上げたことが最も大きな成功要因であるところだ。
2007年に日本テレビで放送された『ハケンの品格』を脚色したこのドラマは、説明をつけようとするなら“社会生活コミックファンタジー”ぐらいになる。私たちの願いが“(南北)統一”でなく“正規職に転換”となった時代、自発的に契約職の道を屈せずに歩いていく“スペックの女王”ミス・キムが主人公だ。文書作成からトイレ清掃、外国語通訳までどんなことも完ぺきにやり遂げるミス・キムは、会社員らの理想を最大化したキャラクターだ。「それは、私の業務ではありません」「会食(飲み会)は、体を捨てて、肝臓を捨てて、時間を捨てる自殺テロです」など、いつか1回ぐらい叫んでみたかったがぐっと飲み込んでしまったセリフを堂々と吐き出す彼女の姿に、視聴者たちの気分がぱっと晴れた。
繰り返される設定が食傷気味であるように思いつつもずっと観ることになってしまうのは、ミス・キム役を演じる女優キム・ヘスの力だ。日本の原作主人公である篠原涼子の演技も立派だったが、キム・ヘスが断然一枚上だ。無表情な会社員から退勤後のセクシーなダンサー、そしてカリスマ性あふれるバスの運転手までキム・ヘスは愉快に変身する。まるで29年間の演技経験で積み重ねてきたものを“ミス・キムが資格証を取り出してくるように”一つ一つリリースしているのだろうか。タンバリン・コミックダンス?当然できるでしょう。演歌に合わせて行うカニ販売ショーは?もちろんさせて下さい。ひょっとして真っ赤な下着を着てモデル・ウォーキングも可能?そうですね。私でなければ誰がするんですか!こんな感じだ。
もちろん惜しむ点はある。10回で簡潔に終えられる日本版とは違って16回分をもたせなければならない韓国版は、たびたび集中力を失う。原作ではほんのスパイス的な要素だった三角関係が本格的に登場し、“ブランド品を持つ正規職VSコピー品を持つ非正規職”式に韓国ドラマ特有の対立構図を作るのにも余念がない。「正規職は加害者です。非正規職は被害者」という方式で状況を単純化して“精神的勝利”をおさめるのがこのドラマの本当の意図ではないだろう。程度の差はあるが私たちはみな不安な時代を生きていて、ドラマのセリフのように皆「今月も無事に」と耐え忍んでいるところなのだから。
イ・ヨンヒ文化スポーツ部門記者
2007年に日本テレビで放送された『ハケンの品格』を脚色したこのドラマは、説明をつけようとするなら“社会生活コミックファンタジー”ぐらいになる。私たちの願いが“(南北)統一”でなく“正規職に転換”となった時代、自発的に契約職の道を屈せずに歩いていく“スペックの女王”ミス・キムが主人公だ。文書作成からトイレ清掃、外国語通訳までどんなことも完ぺきにやり遂げるミス・キムは、会社員らの理想を最大化したキャラクターだ。「それは、私の業務ではありません」「会食(飲み会)は、体を捨てて、肝臓を捨てて、時間を捨てる自殺テロです」など、いつか1回ぐらい叫んでみたかったがぐっと飲み込んでしまったセリフを堂々と吐き出す彼女の姿に、視聴者たちの気分がぱっと晴れた。
繰り返される設定が食傷気味であるように思いつつもずっと観ることになってしまうのは、ミス・キム役を演じる女優キム・ヘスの力だ。日本の原作主人公である篠原涼子の演技も立派だったが、キム・ヘスが断然一枚上だ。無表情な会社員から退勤後のセクシーなダンサー、そしてカリスマ性あふれるバスの運転手までキム・ヘスは愉快に変身する。まるで29年間の演技経験で積み重ねてきたものを“ミス・キムが資格証を取り出してくるように”一つ一つリリースしているのだろうか。タンバリン・コミックダンス?当然できるでしょう。演歌に合わせて行うカニ販売ショーは?もちろんさせて下さい。ひょっとして真っ赤な下着を着てモデル・ウォーキングも可能?そうですね。私でなければ誰がするんですか!こんな感じだ。
もちろん惜しむ点はある。10回で簡潔に終えられる日本版とは違って16回分をもたせなければならない韓国版は、たびたび集中力を失う。原作ではほんのスパイス的な要素だった三角関係が本格的に登場し、“ブランド品を持つ正規職VSコピー品を持つ非正規職”式に韓国ドラマ特有の対立構図を作るのにも余念がない。「正規職は加害者です。非正規職は被害者」という方式で状況を単純化して“精神的勝利”をおさめるのがこのドラマの本当の意図ではないだろう。程度の差はあるが私たちはみな不安な時代を生きていて、ドラマのセリフのように皆「今月も無事に」と耐え忍んでいるところなのだから。
イ・ヨンヒ文化スポーツ部門記者
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