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韓国の“国宝”石獅子像と日本から戻った複製品の数奇な運命とは

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

全羅南道求礼の華厳寺にある国宝35号「四獅子三層石塔」(1)は4頭の獅子が塔身部を支えている。このうち西南側の獅子(2)を1930年代に日帝が複製・搬出し本物のように東京の英親王邸宅玄関に設置した後、59年に駐日韓国代表部に返還した石獅子像(3)が最近韓国に帰ってきた。(写真=文化財庁)

国宝35号華厳寺(ファオムサ)「四獅子三層石塔」にそっくりな石獅子像1点が最近日本から帰ってきた。東京の駐日韓国大使館から韓国に持ち込まれて全羅南道求礼(チョンラナムド・クレ)の華厳寺境内に封印されていた石獅子像だ。華厳寺の獅子像のDNAを100%受け継いだこの複製品は80年余り数奇な運命のくびきを脱ぎ、「父親」のそばに帰郷した。ややもすると搬出されるところだった国宝を守った複製品の息子をめぐるエピソードは波乱に富んでいる。

話は1959年9月17日にさかのぼる。日本の衆議院議長を務めた星島二郎氏は韓日国交正常化を控えて両国の友好ムード作りのため所蔵していた石獅子像とその台座を当時の駐日韓国代表部に返還した。

石獅子像の文化財的価値調査のために同年9月末に日本に派遣された黄寿永(ファン・スヨン)韓日会談専門委員に星島氏は「乙巳保護条約の際に韓半島から搬出されたものであり、搬出した人は初代統監を務めた伊藤博文という説がある」と説明した。


このような調査結果を基に黄専門委員は9月30日、外務部にこの獅子像が「国宝35号華厳寺四獅子三層石塔と類似した統一新羅時代の傑作であり、製作時期は9世紀初期とみられる」との報告書を提出した。続けて「考古美術」61年2月号に「在日石獅座像とその方形台座」という題名でこのような事実を紹介した。

そのような黄委員に不思議な話が舞い込んだ。この獅子像を1930年末に作ったという浅川伯教から「華厳寺四獅子三層石塔を搬出しようとしたができなかったので1カ月間華厳寺に滞在して自身が複製し、木浦(モクポ)で製作した後に日本に送った」という証言を聞くに至る。

結局黄委員は「考古美術」62年12月号の訂正欄に「駐日韓国代表部にある石獅子像は華厳寺四獅子三層石塔を模倣したもの。事実と異なる話をして申し訳ない」という文を発表する。

だが、62年以後駐日韓国大使館の庭に展示されながら歴史的事実はあいまいに忘れられた。満天の下に複製品と明らかにされた物が本物扱いを受けたのだ。このような事情は2010年に駐日韓国大使館の新築工事などで獅子像を韓国に送りかえした方が良いという意見が出てくるまで続いた。

歴史の真実は2013年1月27日、国外所在文化財財団のチョン・ゲオク調査研究室長が駐日韓国大使館に保管中の石獅子像を精密調査した後で明らかになった。この複製品でなければ国宝が日本に持ち出されていたかもしれない状況だった。チョン室長は「文化財委員会の審議を経て華厳寺境内の適切な位置に設置し歴史の教訓を見せる登録文化財とする予定」と明らかにした。



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