王毅の駐日大使(04-07)時代、日本のある報道機関の社長と夕食をする席があった。大使と社長、そして両側にそれぞれ秘書1人、通訳の計5人が出席した。夕食が始まると、社長秘書が手帳を取り出し、対話の内容を書き始めた。日本特有の記録文化と見ることもできる。ところが王毅はそれが気に障った。それでも直接的には言わなかった。ちょうど王毅の秘書も手帳を取り出し、対話の内容を書き始めた。その時、王毅が自分の秘書に静かに伝えた。「くつろいでよい席だ。記録する必要ない」。すると、社長の秘書も手帳をたたんだ。このため日本は王毅が相手を自ら退かせる「説伏の外交術」に卓越していると認めている。尖閣諸島(中国名・釣魚島)紛争をめぐる外交折衝戦で、王毅がどんな戦術を駆使するかは予想するのは難しい。王毅の潜在力はこれで終わらない。
1983年に胡耀邦共産党総書記が日本を訪問した。胡総書記は海外訪問時の公開演説を重視した。演説文に的確な国際状況と斬新な視点が反映されていなければ厳しく叱責した。訪日前、外交部アジア局長が新入りの王毅に演説文の草稿を書かせた。内容が悪くなかったため、少しだけ手を加えた後に総書記に提出した。翌日、総書記は自ら局長に電話をかけ、「誰が草稿を書いたのか」と尋ねた。驚いた局長は初年兵の外交官にこうした重大なことを任せたことを後悔した。
1983年に胡耀邦共産党総書記が日本を訪問した。胡総書記は海外訪問時の公開演説を重視した。演説文に的確な国際状況と斬新な視点が反映されていなければ厳しく叱責した。訪日前、外交部アジア局長が新入りの王毅に演説文の草稿を書かせた。内容が悪くなかったため、少しだけ手を加えた後に総書記に提出した。翌日、総書記は自ら局長に電話をかけ、「誰が草稿を書いたのか」と尋ねた。驚いた局長は初年兵の外交官にこうした重大なことを任せたことを後悔した。
この記事を読んで…