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【コラム】筆者がソウルの街をぶらつく本当の理由=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
ソウルはおしゃれな人であふれ返っている。多分世界でダンディーが最も集中した都市ではないだろうかと思う。カロスキルや弘大(ホンデ)の前は、引き立って見えるように着飾って街を闊歩(かっぽ)する、おしゃれな若者でいっぱいだ。この頃はブロガーやカメラマンがやって来て写真を撮ってあげたら、うぬぼれるダンディーが少なくないんだと、ファッションネットワークを運営するある友人が耳打ちする。

だが、なぜ何のわけもなくソウルをぶらつかないのだろうか? 時間浪費のように見なされるかも知れないが、筆者は街を歩いて多くのことを学ぶ。特にソウルの北東側がそうだ。恵化洞(ヘファドン)は美しくて、東廟(トンミョ)の前は魅力的なところだ。世運(セウン)商店街から忠武路(チュンムロ)に達する通りには韓国の開発の歴史が連なっている。

筆者は韓国式家屋が集まっている益善洞(イクソンドン)付近の鍾路(チョンノ)3街のファンだ。高度成長したソウルの真ん中に、まだこうしたところが残っているという事実にうっとりする。まるで高層ビルの過密な熱帯雨林で、すっきりした空き地に出会うような気持ちだ。そんなすばらしい韓国式家屋をなぜ安値で貸すという広告ビラが出回るのか疑問だ。その付近には筆者が好奇心で訪れた天道教中央大教堂もある。信者は天徳ソングを歌って列をつくり礼拝をしていた。単に十字架がないだけであって、キリスト教と全く同じように見えた。そしてあるおばあさんの信徒が近寄ってきて天道教の歴史と信仰について熱心に話し、彼女は彼女の世代が最後の信徒にならないだろうかと心配していた。


筆者は一人で仕事をする職業を持っている。自身の日程を思いのままに組めるぜいたくを享受している。街中をぶらついて何か書きたいものがあればカフェに立ち寄って文を書く。まるでぶらつくのが職業でないかと思ったりもする。だが、天道教の経典を読まなくても、偶然に立ち寄った教会ではるかに生き生きした天道教の本来の姿を見るのではないだろうか。

目的のない徘徊はまた別の魅力がある。人間は目的のために生きるという。試験に合格しようと勉強して、金をもうけるために仕事をして、別に気乗りはしないが上司の目にとまるために気を遣う。この数多くの仕事は果たして私たちが自由に選択したことなのだろうか?あなたが街中をぶらついてぼんやり眺めれば、数多くの人がそうした世界に閉じ込められて生きているということが分かる。あなたがそんな日常から少しの間だけでも離れられることが、どれほど楽しいことなのかも。

ダニエル・チューダーエコノミストソウル特派員



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