1990年生まれの同年齢フィギュアスケーター、キム・ヨナ(23)と浅田真央(23)は、ジュニア時代から最高のライバルとして注目を受けてきた。 9年間に14回の対決があったが、キム・ヨナと浅田のライバル関係は2000年代半ば以降の世界フィギュア界を盛り上げてきた。 浅田の存在はキム・ヨナをさらに成長させ、フィギュア界で独歩的な地位を築くうえで力になった。 歴代対決ではキム・ヨナが8勝6敗とリードしている。
◇初めての出会い
キム・ヨナと浅田は04年12月、フィンランド・ヘルシンキで開催されたジュニアグランプリ(GP)ファイナルで初めて会った。 12歳(2002年)でトリプルアクセル(空中3回転半)に成功した浅田は“必殺技”を前面に出して合計172.25点をマークし、キム・ヨナ(137.75点)を大差で退けた。 キム・ヨナはエッセーで、浅田の第一印象について、「よりによって、なぜあの子が私と同じ時代に生まれたのだろうかとも思った」と書いている。
しかし成人舞台の最初の対決ではキム・ヨナが笑った。 06年12月のロシアGPファイナルで、キム・ヨナは股関節の痛みにもかかわらず集中力を発揮し、逆転した。 ショートプログラムは3位(65.06点)だったが、フリーで119.14点をマークして逆転優勝した。 一方、浅田はフリーで2度もジャンプミスをし、2位にとどまった。
◇名勝負
キム・ヨナはジュニア時代から股関節と腰の痛みに苦しんできた。 このためジャンプに自信を持てず、07年12月の東京世界選手権からの1年間、浅田との対決でも1勝3敗に終わった。 この時、キム・ヨナは練習地をカナダ・トロントに移し、体系的なコンディション管理を受けるなど変化を与えた。 より正確でクオリティーが優れた技術を駆使する選手に有利となる新採点制にも効率的に対処した。 その結果、09年3月の米ロサンゼルス世界選手権で合計207.71点をマークし、世界フィギュア史上初めて200点を超えた。 一方、浅田はトリプルアクセルに負担を抱え、4位(188.09点)に終わった。 2転3起の末、世界選手権の表彰台の最も高いところに立ったキム・ヨナは涙を流した。
◇悲喜
キム・ヨナと浅田の悲喜は2010年バンクーバー冬季五輪で分かれた。 ショートプログラムでキム・ヨナのすぐ前で演技をした浅田は自己最高の73.78点をマークして笑った。 しかし浅田の笑顔は長くは続かなかった。 キム・ヨナは「007ジェームズ・ボンド・メドレー」が流れる中、最高の演技で78.50点を受けた。 フリーでは、浅田はキム・ヨナの相手にならなかった。 ジョージ・ガーシュウィンの「ヘ調の協奏曲」の旋律の下、生きたスケーティングで完壁な演技を見せたキム・ヨナは、合計228.56点の世界記録を出した。 浅田も自己初めて合計200点(205.50点)を超えたが、表彰台での表情は明るくなかった。
◇大会(場所)=結果(総点、順位)
2011世界選手権(ロシア・モスクワ)=キム・ヨナ(194.50、2位)、浅田(172.79、6位)
2010世界選手権(イタリア・トリノ)=キム・ヨナ(190.79、2位)、浅田(197.58、1位)
2010バンクーバー冬五輪=キム・ヨナ(228.56、1位)、浅田(205.50、2位)
2009-10GP第1戦(仏パリ)=キム・ヨナ(210.03、1位)、浅田(173.99、2位)
2009世界選手権(米ロサンゼルス)=キム・ヨナ(207.71、1位)、浅田(188.09、4位)
2009四大陸選手権(カナダ・バンクーバー)=キム・ヨナ(189.07、1位)、浅田(176.52、3位)
2008-2009GPファイナル(韓国・高陽)=キム・ヨナ(186.35、2位)、浅田(188.55、1位)
2008世界選手権(スウェーデン・イェーテボリ)=キム・ヨナ(183.23、3位)、浅田(185.56、1位)
2007-08GPファイナル(イタリアトリノ)キム・ヨナ(196.83、1位)、浅田(191.59、2位)
2007世界選手権(日本東京)キム・ヨナ(186.14、3位)、浅田(194.45、2位)
2006-2007GPファイナル(ロシア・サンクトペテルブルク)=キム・ヨナ(184.20、1位)、浅田(172.52、2位)
2006世界ジュニア選手権(スロベニア・リュブリャナ)=キム・ヨナ(177.54、1位)、浅田(153.35、2位)
2005世界ジュニア選手権(カナダ・キッチナー)=キム・ヨナ(158.93、2位)、浅田(179.24、1位)
2004-2005ジュニアGPファイナル=(フィンランド・ヘルシンキ)=キム・ヨナ(137.75、2位)、浅田(172.25、1位)
※キム・ヨナが8勝6敗で優位
◇初めての出会い
キム・ヨナと浅田は04年12月、フィンランド・ヘルシンキで開催されたジュニアグランプリ(GP)ファイナルで初めて会った。 12歳(2002年)でトリプルアクセル(空中3回転半)に成功した浅田は“必殺技”を前面に出して合計172.25点をマークし、キム・ヨナ(137.75点)を大差で退けた。 キム・ヨナはエッセーで、浅田の第一印象について、「よりによって、なぜあの子が私と同じ時代に生まれたのだろうかとも思った」と書いている。
しかし成人舞台の最初の対決ではキム・ヨナが笑った。 06年12月のロシアGPファイナルで、キム・ヨナは股関節の痛みにもかかわらず集中力を発揮し、逆転した。 ショートプログラムは3位(65.06点)だったが、フリーで119.14点をマークして逆転優勝した。 一方、浅田はフリーで2度もジャンプミスをし、2位にとどまった。
◇名勝負
キム・ヨナはジュニア時代から股関節と腰の痛みに苦しんできた。 このためジャンプに自信を持てず、07年12月の東京世界選手権からの1年間、浅田との対決でも1勝3敗に終わった。 この時、キム・ヨナは練習地をカナダ・トロントに移し、体系的なコンディション管理を受けるなど変化を与えた。 より正確でクオリティーが優れた技術を駆使する選手に有利となる新採点制にも効率的に対処した。 その結果、09年3月の米ロサンゼルス世界選手権で合計207.71点をマークし、世界フィギュア史上初めて200点を超えた。 一方、浅田はトリプルアクセルに負担を抱え、4位(188.09点)に終わった。 2転3起の末、世界選手権の表彰台の最も高いところに立ったキム・ヨナは涙を流した。
◇悲喜
キム・ヨナと浅田の悲喜は2010年バンクーバー冬季五輪で分かれた。 ショートプログラムでキム・ヨナのすぐ前で演技をした浅田は自己最高の73.78点をマークして笑った。 しかし浅田の笑顔は長くは続かなかった。 キム・ヨナは「007ジェームズ・ボンド・メドレー」が流れる中、最高の演技で78.50点を受けた。 フリーでは、浅田はキム・ヨナの相手にならなかった。 ジョージ・ガーシュウィンの「ヘ調の協奏曲」の旋律の下、生きたスケーティングで完壁な演技を見せたキム・ヨナは、合計228.56点の世界記録を出した。 浅田も自己初めて合計200点(205.50点)を超えたが、表彰台での表情は明るくなかった。
◇大会(場所)=結果(総点、順位)
2011世界選手権(ロシア・モスクワ)=キム・ヨナ(194.50、2位)、浅田(172.79、6位)
2010世界選手権(イタリア・トリノ)=キム・ヨナ(190.79、2位)、浅田(197.58、1位)
2010バンクーバー冬五輪=キム・ヨナ(228.56、1位)、浅田(205.50、2位)
2009-10GP第1戦(仏パリ)=キム・ヨナ(210.03、1位)、浅田(173.99、2位)
2009世界選手権(米ロサンゼルス)=キム・ヨナ(207.71、1位)、浅田(188.09、4位)
2009四大陸選手権(カナダ・バンクーバー)=キム・ヨナ(189.07、1位)、浅田(176.52、3位)
2008-2009GPファイナル(韓国・高陽)=キム・ヨナ(186.35、2位)、浅田(188.55、1位)
2008世界選手権(スウェーデン・イェーテボリ)=キム・ヨナ(183.23、3位)、浅田(185.56、1位)
2007-08GPファイナル(イタリアトリノ)キム・ヨナ(196.83、1位)、浅田(191.59、2位)
2007世界選手権(日本東京)キム・ヨナ(186.14、3位)、浅田(194.45、2位)
2006-2007GPファイナル(ロシア・サンクトペテルブルク)=キム・ヨナ(184.20、1位)、浅田(172.52、2位)
2006世界ジュニア選手権(スロベニア・リュブリャナ)=キム・ヨナ(177.54、1位)、浅田(153.35、2位)
2005世界ジュニア選手権(カナダ・キッチナー)=キム・ヨナ(158.93、2位)、浅田(179.24、1位)
2004-2005ジュニアGPファイナル=(フィンランド・ヘルシンキ)=キム・ヨナ(137.75、2位)、浅田(172.25、1位)
※キム・ヨナが8勝6敗で優位
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